カメラメーカーから味噌作りへ
法論味噌
もうひとつ復活させたものがある。法論味噌(ほろみそ)だ。南都の社寺の僧や神官が学問をする際、眠気を催すとなめていたと伝えられる。だが岡本さんが法論味噌の復活を考えたのは、修行のためでも、町おこしのためでもなかった。
春日大社では正月に「歳旦祭」というお祭りが行われる。古文書によると、室町時代には、歳旦祭での神様へのお供え物には「法論味噌」が含まれていたが、江戸時代になると「赤味噌」で代用されていたのだという。法論味噌とはどんなものだったか。岡本さんは昔のものに戻せないかと考えた。
奈良県田原本町にある嶋田味噌・麹醸造元の嶋田稔さんはカメラメーカーの役員を退職した後、家業を継いだ。「茜八味噌」の名で味噌を作り、創業260年になる旧家だ。岡本さんは法論味噌の復活を嶋田さんに託した。
「いや、手間がかかる味噌ですわ」と嶋田さん。通常の味噌に、やき胡麻やくるみ、麻の実、山椒などをあわせて煮込み、さらに天日干しをして、最後にホウラクで煎って仕上げる。嶋田さんの味噌作りは「安全安心な本物を作ること」。そんな信条がなければ到底完成しなかった味噌だ。記録で使う材料は分かったが、配合は嶋田さんが試行錯誤し、完成させた。
目が覚めるほどに塩辛い物ではなく、どちらかというと栄養価を感じる濃厚な味。「眠気覚ましというよりも夜食のようなものだったかもしれへんな」と岡本さん。酒飲みには肴としてぴったりの一品である。「法論味噌」という商標が使われていたため、「飛鳥味噌」という名称で注文生産に応じているほか、毎年、歳旦祭に奉納している。完全に古が復活したのである。
嶋田稔さん