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2020/04/20 樋泉克夫
新型コロナが世界を震撼させている最中に、半世紀以上も昔の中国で起こった事件など持ち出すべきではないかもしれない。だが、感染症の一種である髄膜炎の猛威の前に、3カ月ほどの短期間で16万人余が犠牲になったといわれる事件である。この数は現時点(…
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2020/04/11 樋泉克夫
自らは逸早く新型コロナウイルス制圧に成功したと内外に向けて喧伝する習近平政権の動向である。新型コロナウイルスに翻弄されている日本や欧米などG7諸国の虚を衝くかのように、習近平政権は「友好」や「人類運命共同体」を錦の御旗に掲げてASEAN諸…
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2020/03/14 樋泉克夫
3月10日、習近平国家主席が武漢市を視察したことで、厳戒封鎖が布かれている武漢市はともあれ、武漢市に先行して同市を除く湖北省の封鎖解除近しとの観測が流れ始めた。ホンダも操業再開を打ち出したようだ。
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2020/03/10 樋泉克夫
2月末から3月初まで、5日ほどクアラルンプールに出掛けてみた。特にこれといった目的があったわけではなく、四半世紀ほど前に見たチャイナタウンの変貌ぶりを実感してみようかと、軽い気持ちであった。
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2020/03/01 樋泉克夫
中野孤山(生没年不詳)が広島県立中学校教諭の職を捨て、四川省総督・錫良による「教育家の招聘撰擇」に応じ、「天富の豊穣なる」四川に単身赴いたのは明治末年のことである。
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2020/02/23 樋泉克夫
やがて教化の末に中国に「物の道理を解せる人士」が満ち溢れたなら、「人口増加の余、生存競争が激烈になるに連れ、人類として、最後の勝利を占むるのではなからうか」と考えた。つまり「物の道理を解せる人士」に満ちた時、中国は世界の覇者になると予想し…
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2020/02/16 樋泉克夫
「蓋し(けだし=思うに)一省内に於てすら風俗習慣を異にする支那であるから、得意巡りをして需要嗜好等を研究し、大いに我対清貿易を盛にするを必要と思ふ」と、市場と民情調査の徹底を提言する。中国市場における日独企業の対応の違いは、はたして現在に…
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2020/02/09 樋泉克夫
武漢は、なぜ新型コロナウイルス震源地のとなったのか。いや、ならざるをえなかったのか。武漢の歴史を振り返ることは、あるいは近未来の中国を考えることに通じるようにも思える。
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2020/01/11 樋泉克夫
日本人は「馬鹿正直」を貫くことを美徳とする。だが日本外交の歴史を振り返ってみると、その「馬鹿正直」が日本の手足を縛り、大いなる躓きの石になったことも少なくはない。それが判っていながら「馬鹿正直」の道を択び突き進むのも日本人だ。
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2019/12/26 樋泉克夫
香港は“ないない尽くしの泥沼”に落ち込んでしまったようだが、誰もが意気消沈しているわけではない。逆境を逆手に取って商売に励もうという強者が現れた。さすがに香港、である。
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2019/12/07 樋泉克夫
明治20年代、日本では日本では清国に対する関心はいやが上にも高まっていた。耳学問ではなく、現地主義・現場主義ではないと駄目だと、長州出身の一人の青年が海を渡った。
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2019/11/28 樋泉克夫
明治39(1906)年7月19日午後4時、広島高等師範学校を中心に東京帝国大学、第一、二高等学校、学習院、大阪高等商業学校、同高等医学校などの学生を加えた総勢600人余は、広島県宇品港から小雛丸に乗り込み、朝鮮半島・満州方面への修学旅行に…
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2019/10/07 樋泉克夫
いまから70年前の1949年10月1日午後3時、朱徳、劉少奇、周恩来ら建国の元勲を従え天安門の楼上に立った毛沢東は「中華人民共和国中央人民政府は、本日、成立した」と絶叫気味に建国を宣言し、「これで我が民族は他から侮られなくなった」と続ける…
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2019/10/05 樋泉克夫
明治人が考えたロマンティシズムに満ち溢れた理想主義的な「東亜保全論」という考えは、その後に続く日露戦争、辛亥革命、清朝崩壊、中華民国成立、軍閥割拠から日中戦争を経て日本敗戦へと続く疾風怒濤の時代の渦中で、ものの見事に破産した。
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2019/09/05 樋泉克夫
香港返還が中英両国間で外交案件として具体化しはじめた80年代初頭以降、香港の将来に不安を抱く企業家は団体を組織して北京詣でを繰り返し、中央政府の意向を探ってきた。そういった席で鄧小平は「一国両制」「香港の繁栄の維持」「香港制度の50年間不…
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2019/08/31 樋泉克夫
20世紀初頭の「支那市場に於ける世界の競争は」、清国=中国の存在感・影響力の増大という点を除けば、1世紀余が過ぎた現在と大差がない。かつて世界第2位の経済大国を謳歌していた日本の経験に照らして、このまま順調に「中国の夢」が実現するとは思え…
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2019/08/20 樋泉克夫
“最終着地点”が見当たらないままに時間のみが経過する。攻守双方の緊張と自制のバランスが崩れ、事態が「回帰不能点」を越えた時には、習近平政権が社会の安定を最優先に掲げ、国際世論に逆らってでも動き出すことも考えられる。だが国際社会は、“天安門…
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2019/08/07 樋泉克夫
青森県七戸に生まれた米内山庸夫(明治21=1888年~昭和44=1969年)は、辛亥革命勃発(1911年)の1年前に当たる「明治四十三年七月、上海より行を起こし、香港、海防を経て雲南に入り、さらに北して四川に出で、それより揚子江を下つて、…
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2019/07/19 樋泉克夫
いま香港を構成している主な要素を挙げるなら、経済(=企業家)、政治(=中央政府)、民意(=香港住民)になるだろう。この3者のうちのどの1つが欠けたとしても、中華人民共和国特別行政区となった香港の持つ世界の金融センターとしての機能が失われる…
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