2024年4月26日(金)

オトナの教養 週末の一冊

2019年5月24日

――ステレオタイプなアメリカの食のイメージと言えば、少し古いかもしれませんが1950年代のようなコーラにハンバーガーという方もいるかもしれません。しかし、実際には、フュージョン系料理やエスニックフードが流行っていると。こうした脱ファーストフードの動きの背景には何があるのでしょうか?

鈴木:効率的ではあるが画一化されたライフスタイルは1950年代に本格的に誕生した。それに対し60年代にヒッピーたちのカウンターカルチャーが登場した。ヒッピーたちの反抗はさまざまな分野に及びましたが、カウンターカルチャーがもっとも発展できた領域の一つは、実は食だったのです。企業の営利第一主義が、環境や生命の安全を脅かしていると考えたヒッピーたちは、環境保護や消費者保護の思想を吸収しながら、まずは自分たちが口にする食べ物から健全なものにしようと有機農業や協同組合を立ち上げた。食に安全性と多様性を取り戻そうとしたヒッピーたちは、画一化されたファーストフードに代わる食生活のあり方を提示し、それは結果的にヘルシー志向とエスニック志向となってその後のアメリカに受け継がれたのです。

 現在のCSAや有機野菜に興味を持っている人たちの問題意識は根本的にはこうしたヒッピーたちと同じなのです。ヒッピーたちの有機農業は、農民でもビジネスマンでもなかったので失敗に終わりましたが、CSAの場合、プロの農民が生産するなどよりシステマティックになっています。

――カウンターカルチャーの影響は、いまだに食や環境問題に関して大きいんですね。

鈴木:ヒッピーたちのカウンターカルチャーのなかでロック音楽やファッションなどは消費されましたし、政治闘争でも勝利したとは言えません。しかし、食や環境への問題意識は、産業社会のあり方に疑問を持つ、より多くの人々を結集させる新たな受け皿となった。

 現在の効率優先の産業社会に対し、多かれ少なかれ違和感を持つ人は少なくないでしょう。そうした問題意識は、実はヒッピーたちのカウターカルチャーとつながっているのです。

――今回、食という切り口からアメリカ社会に迫ったわけですが、現在のアメリカ社会とはどんな社会であると考えていますか?

鈴木:食は、外国に興味を持つ時の重要なチャンネルの一つであるのに、本格的な外国研究としてはまだ十分掘り下げられていない。今回、食というテーマからアメリカ論を構築するにあたり、日常的すぎて普段はあまり深く考えることのない食べ物が、実はその集団の軌跡をタイムカプセルのように刻み込んだ記憶媒体というべき存在であるという観点を中心に据えました。食べ物が伝える忘れられた記憶を解読することによって、その社会の特徴、創造力、ポテンシャルがみえてくると同時に、歴史の中で現在がどのような位置にあるのか、そして、未来に向けてどのような変革がなされるべきかの糸口が見えてくると考えていました。

 アメリカでは差別がまかり通って来た歴史があり、人種隔離社会の傷跡は今でも消えていません。しかし、食に刻まれているのは、この国の食文化が、非西洋や多くの移民の知恵を組み込んで異種混交的に成り立っているということです。

 現在アメリカでは、ヒスパニック系人口の増加など人口構成の変化が急激に進んでいます。今世紀半ばには、WASPが過半数を割り、絶対多数だった民族集団が史上初めてアメリカから消えます。これは、典型的なアメリカ人なる概念を根底から揺さぶる可能性がある。特定の集団の地位を格上げすることなく、アメリカが自らのアイデンティティを再構築し、いかに社会の融和を図っていくかを考えるとき、食に刻まれた異種混交性は、自分たちの正体を考え直すヒントになるのではないか。食べ物が刻んできた記憶と向き合い、異種混交性こそ自分たちの財産と気が付くことができれば、現在でさえ分裂含みの深刻な格差社会の状況をアメリカが克服していく道筋が開ける可能性はあると思う。

――本書をどんな人に薦めたいでしょうか?

鈴木:アメリカ食文化史が本書の軸なのですが、フードビジネス、食育、農業や地域社会の再生などに関心のある人にも読んでほしいですね。

 食はあまりに日常的過ぎる題材かもしれませんが、アメリカという国の正体をより深く理解する手助けになると思います。しかも、アメリカ発のファーストフードは、日本も含めて世界を席巻しました。アメリカの食をめぐる動向を自分たちの食生活ともつながっている話として捉える当事者感覚を持ちながら読み進めてもらえると嬉しいですね。

 私たちは、何らかの形で食の生産・流通・消費に関わっている。だからこそ食は、世の中を変える糸口にもなる。一人ひとりが、食をめぐってできることはたくさんあるのだと思ってほしい。食べ物に刻まれた記憶ともっと真剣に向き合うことで未来は変えられるかもしれない、というメッセージをアメリカの事例から取り出そうとしているのが本書なのです。
 

  
▲「WEDGE Infinity」の新着記事などをお届けしています。


新着記事

»もっと見る