新たに言語技術教育を取り入れる学校の方針で派遣された教師がいる一方で、三森氏の著書を読んで「これは子どもたちのためになると思った」と、受講料、交通宿泊費と大きな出費になるが、自己研鑽への投資を惜しまない熱意をもった地方の教師もいる。
言語技術教育で最初に行われるのが会話形式の「問答ゲーム」だ。質問に対して、①結論、②理由、③まとめ、という形で答える。一見、簡単そうだが、日常会話では意外にできていない。例えば、
親「今日のサッカーはどうだった?」
子「面白かった」
親「なるほど、良かったね」
何気ないやりとりだが、日本人の間では「どうだった?」という質問に対して「楽しかった」という「印象論」で終わっていることが少なくない。これは日本人による会話が「高コンテクスト」、つまり言語以外の文脈を読む形になっているからだ。「以心伝心」「察する」というのがまさにそうだ。
一方で、異なる言語、民族が身近な欧米では、「低コンテクスト」、つまり言葉にしてきちんと説明するコミュニケーションが必要だ。問答ゲームの狙いは、印象論ではなく、問いを繰り返すことで「言語化」することにある。「どうだった?」ではなく、「何がどう面白かったのか?」という問いだ。
「会話の中で、『いつ』『どこで』『なぜ』『だれが』『何が』『どんなふうに』と問うことで、答える側は感覚で言っていたことから、具体化する、〝言語化〟できるようになる」(三森氏)。
三森氏は「〝技術〟は心を育てないという批判もあるが、言語技術はスキルと教養、つまり文学作品などの読み込みとの両輪。欧米では国語の授業で古典、新作など徹底的に文学作品を読み込ませている。華道、柔道などの『道』という型があるのと同じく、言語技術も型の一つだ。型の後は応用力を育てることが重視される」と強調する。
言葉の力は
生きる力になる
5日間のプログラムを振り返って広島県府中市教育委員会の小寺和宏・教育課程研究センター長はこう話す。「38年間教師を続けてきたが、もっと早く言語技術の本質を知っておけばよかった」。こう感じるのは理由がある。
小寺氏が中学校の校長をしていたときのことだ。校長室の窓から、いつも的確な練習メニューを指示する、陸上部主将の姿を見ていた。「この生徒は生徒会長でもあった。言葉がしっかりした生徒が生徒会にいることで、生徒が自分たちで何をすべきか考えて行動し、学校行事が引き締まった内容になり、結果的に、学校全体に一体感が生まれた」(小寺氏)という。この時は、一人の生徒の素質だったが、言語技術を学ぶことで、多くの生徒が言葉の力を身に付けることができる。
府中市では本年度から「ことば探究科」を設けて、市内の全ての小中学校で言語技術教育をはじめた。「単に学力を向上させることではなく、言葉の力を身に付けることは、生きていくうえで大事になる」(同)からだ。