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Wedge OPINION

2022年7月20日

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山下一仁 (やました・かずひと)

キヤノングローバル戦略研究所研究主幹

1955年生まれ。東京大学法学部卒業後、農林省入省。米ミシガン大学応用経済学修士。東京大学農学博士。農林水産省ガット室長などを歴任。近著に『日本が飢える! 世界食糧危機の真実』(幻冬舎新書)
 

「禁輸」という言葉を
恐れすぎるなかれ

 もう一つ、消費者心理を不安にさせるのが「禁輸」という言葉だ。今年5月、小麦生産量で世界第2位のインドが「禁輸」したことが、おおげさに報じられた。確かにインドの生産は1億㌧を超えるが、その輸出量はわずか93万㌧であり、ほとんどが国内向けだ。インドが禁輸を決めた理由は国内問題である。小麦の国際価格の高騰によって利幅が大きい輸出が増えることで、国内供給が減少し国内価格も高騰することを恐れたのだ。

 食料自給率の低い日本にとって「禁輸」は死活問題のように感じられる。しかし、筆者がここで断言しておきたいことは、主要輸出国である米国などによる食料の「禁輸」は起きないということである。実体験からその理由を説明したい。

 世界貿易機関(WTO)の前身である「関税と貿易に関する一般協定(GATT)」。1993年12月に採択されたウルグアイ・ラウンド交渉に、筆者は交渉官として参加した。ここでは、わが国の提案により、農業協定第12条として、輸出禁止または制限を行おうとする国は、輸入国の食料安全保障に及ぼす影響に十分考慮するとともに、事前に農業委員会に措置内容を通報し、輸入国と協議すべき旨が規定された。これに対し、米国など輸出国が反対するのではないかと心配していたが、「自由貿易こそが食料安全保障だ」として、米国は反対しなかった。輸出制限などしないと言ったのだ。このことを筆者は今でも鮮明に覚えている。

 これには二つの理由が考えられる。一つは、1973年の大豆危機だ。米国では当時、豚の飼料としてアンチョビが使用されていたが、この年、ペルー沖でアンチョビが不漁となり、大豆の「搾りかす」が代替飼料として使われるようになった。米国内の畜産需要を賄うため、当時のニクソン大統領は大豆の禁輸を発表したのである。

 米国は当時、世界の大豆輸出の9割を占めており、この決定は日本にとって大打撃となった。危機感を持った日本政府は、米国の代わりとなる大豆生産国を探し、見つけ出したのが、ブラジルの「セラード」と呼ばれる草原地帯だ。日本はこの土地の土壌改良に、政府開発援助(ODA)などを通じて協力し、大豆の生産を可能とした。結果、ブラジルの大豆生産は飛躍的に増加し、現在では米国を完全に抜き去り、世界第1位の大豆輸出生産国となった。ある意味で、この「禁輸」措置は米国のトラウマになっているのだ。

 もう一つが79年、当時のソ連がアフガニスタンに侵攻したことを受けて、カーター大統領(当時)がソ連への穀物を「禁輸」したことだ。畜産用の飼料を自給できなかったソ連に打撃を与える狙いだったが、ソ連はアルゼンチンという輸入代替先を見つけた。この結果、米国の農家は輸出先を失い、倒産・離農が相次いだため、翌年禁輸措置は撤回されたのである。

 現代にも通じるが、米国、カナダ、豪州のように輸出が生産量の過半を占める国では、禁輸=国内に在庫が滞留してしまい、その国の農業者に打撃を与える。逆に他の輸出国は国際市場での供給減少による価格上昇の利益を受ける。


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