あなたがいなくなると困る
アスポートで現代表を務める土屋匠宇三さん(37歳)には、忘れられない記憶がある。学習教室に参加していた高校生が、無事に就職が決まった時のことだ。会社が用意した寮に入ることになり、経済的にも自立のめどが立った。親は高校生に依存しがちで、それを嫌った彼は親から離れることを望んでいた。ヤングケアラーであることから、卒業しようとしたのである。彼の気持ちを知る職員と彼は、「よかったね」と喜びあっていた。
しかし、本人はせっかく決まった仕事を断ってしまった。なぜか。
きっかけは、自治体で生活保護を担当するケースワーカーの一言だったという。「あなたの両親は日本語が話せない。今まではあなたが通訳をしてくれていたから、両親も特に問題なく生活することができていた。あなたが就職をして家を出たら、日本語を話せない両親の面倒を誰がみるのか――」
ヤングケアラーへの支援を充実させるべきと考える人たちは、こう言うだろう。「両親や行政の都合で本人の夢が閉ざされることはあってはならない。日本語を話すことができない外国人はたくさんいる。そのすべてに子どもがいる訳ではない。行政には国際課のような多言語に対応する担当課もあるし、日本語が話せないのであれば、公費で通訳者を確保することもできる。この世帯でも、ケースワーカーが通訳を派遣するよう調整すればよいだけのことである。それをしないのは行政の怠慢である」と。
一方で、特にネットメディアでは、「生活保護」「外国人」というテーマは、たびたび炎上するセンシティブなテーマである。高校生になる子どもがいるということは、親は長いこと日本で生活していることだろう。「なぜ、日本語を学ぼうとしないのか」と親への批判がでてくることは容易に予想できる。努力しようとしない人に対して、国民の血税で通訳者を派遣する必要があるのか。これを許すことは、日本に依存する外国人を増やすことにつながりかねない。そもそも、なぜ外国人に生活保護を利用させなければならないのか。こうした意見もでてくるだろう。
それから、もう一つ。「あなたが困る」といったケースワーカーの心情も考えてみたい。生活保護担当者が、困った人たちの対応に日々心が削られているという話は以前に書いた(「元担当者は語る 生活保護行政はなぜ、叩かれるのか」)。ただでさえ余裕がない仕事のなかで、日本語を理解できない外国人の支援というのは相当なプレッシャーである。
日本語で意思疎通ができる子どもの存在は、担当者にとってありがたい存在であったろう。無事に就職できたという報告を聞いて嬉しい思いがある一方で、こう考える。彼がいなくなったら、この世帯の支援はどうしていったらいいのだろう。
通訳者の派遣依頼には何度も担当課とやり取りをして面倒な起案も回さないといけない。無制限に利用できるわけでもない。確実に自分の負担は増える。助けてくれる人もいない。
どうして家から通うことができる仕事にしてくれなかったのか。親と一緒に暮らす方が、本人にとっても楽なこともあるだろうに――。こうした思いをめぐらすなかで、つい、『提案』が口をついて出たということもあるかもしれない。
「わかりやすさ」を優先しては現実と乖離する
ヤングケアラーの現実とは、誰もが納得することができる綺麗な収まりをすることは、むしろ稀である。日本には、「親の責任」「子の責任」「家族の絆」という価値観が根強く息づいている。とりわけ困窮世帯に関していえば、「家族のケア」だけでなく、ひとり親、精神疾患、外国籍、不登校、虐待といったいくつもの課題が複雑に入り組んでいることが、むしろ当たり前である。
これを前提とすることなく、「わかりやすく」伝えることばかりを優先すれば、その前提から立案した政策も現実から乖離したものになっていく。
困窮世帯にヤングケアラーが多い。この事実は、皆が薄々気づいて、でも気づかないふりをしてきたことではないだろうか。今回の実態調査は、それを社会に突きつけた。これにどう応答していくのか。土屋さんはいう。
「親が外国人であるから、日本語が話せないからという理由で、家に束縛されるのはおかしい。どんな立場にいる子どもでも、その気持ちが尊重され、選択の自由が保障される社会であってほしい」
最後に、事例の子はどうしているかを聞いた。今も、親と一緒に暮らしているとのことだった。