人間は自由に生きる権利があって、それが生意気だと言われる筋合いはない。ナンシー・ペロシ米下院議長が、この8月、台湾を訪問した際にも、わざわざ訪問して中国を刺激するべきではないという議論が日本であったが、何をしようがいじめっ子はいじめたいときにはいじめるものだ。
そもそも、日本人がとやかく言うより、台湾人がどう思っているかが大事だ。台湾の報道をチェックした限りでは(もちろん、全てを見ているわけではないが)、大歓迎していたのではないだろうか。
しかし、筆者が国葬を行うべき理由を説明しても、実は仕方がない。国葬の実施を決めた人、現首相が、国葬の必要性を説明するしかない。それは、経済政策と安全保障についての基本方針を評価して引き継ぐということではないか。
英国が、ウィンストン・チャーチル首相を国葬に付したのは、多大な犠牲を払って、ドイツのナチズムからヨーロッパを解放したのは正しかった、英国は、自由のために何度でも戦う、という意志を確認したのではなかったか。吉田茂首相の国葬も、自由主義陣営と社会主義陣営の対立している時代に、自由主義陣営に与して自国の安全を守り、国民を豊かさに導くという方針が正しかったと確認するものではなかったか。
迫力に欠けていた岸田首相の説明
弔問外交といっても、安倍元首相の安全保障についての基本方針を外国要人と現政権とが確認しあうというのでなければ意味はない。
首相の仕事は、国民の話を聞いた上で、するべきことを決めて国民を説得することではないだろうか。反対は常にあり、説得しても反対している人の多くが賛成に変わる訳ではないが、意見が変わる人も出てくる。
そう考えると、岸田文雄首相の説明は、説得するという迫力に欠けたものだったと感じる。9月8日、国会で、国葬実施の理由として〈1〉歴代最長の政権を担った〈2〉多くの業績を残した〈3〉諸外国が弔意を示している〈4〉安倍氏が選挙運動中に銃撃されたことから、国として民主主義を守る姿勢を示す必要がある、また、各国で国全体を巻き込んでの敬意と弔意が表明されていると述べた(「首相、閉会中審査で「国葬は適切」…歴代最長政権・多くの業績など評価」読売新聞2022/09/08)。説明が形式的なのは、業績を語れば反対の国民が現われるから困るということだったろうが、するべきことはしなくてはならないのだから、説得する決意で説明していただきたかった。
また、国会の多数を得ているのだから、国会で決議することも簡単だった。これは、政権が必ず議会の多数派であるという議院内閣制の利点である。何故しなかったのか分からない。