2024年12月2日(月)

Wedge REPORT

2022年12月31日

 安倍元首相に対する国論の二分は、死後の国葬の実施についても引きずられた。岸田文雄首相が議会にかけることなく国葬の実施を決めたことや莫大な費用がかかることに批判の矛先を向けられたが、そこには世界から得た安倍元首相の政治家としての評価は見失われてしまっていた(「安倍晋三元首相の国際的評価から学ぶべきこと」)。また、実は国葬について、若者の6割ほどが賛成の立場であったことも冷静に見られなくなってしまった(「安倍元首相国葬を多くの若者が支持していたという事実」)。

コロナ対策でも続いた国論の二分

 社会の分断はコロナ禍の行動制限においても起きた。

 「ワクチンを打つべきかどうか」。これに対する姿勢は今も尾を引きずる。ワクチンを忌避する人がいる大きな要因の一つが副反応だ。ここには「ワクチンの悲劇」というものがつきまとう(「効果が見えないワクチンの「悲劇」 メディアの責任は?」)。

 ワクチンはいつか起こるかも知れない感染を防ぐためにあるもので、鎮痛剤や解熱剤と違って効いたのか効いていないのかを実感することがほとんどない。対して、ワクチンを打っても感染したことや、副反応による健康被害は自覚する。「ワクチン打ったのにコロナに罹った」「ワクチン打ったら、副反応で熱が出てツラい」といった言葉がSNSに飛び交う。「ワクチン打ったから、コロナにかからなかった」という言葉はまず発信されない。

 これは、「ウィズコロナ」へと舵を切る上でも足かせとなった。コロナ患者受け入れ病院や保健所機能に大きな負担を与えていた感染者の全数把握が見直そうとされた時に、一部の知事は反対を表明した(「コロナ「全数把握」必要か?見苦しい首相と知事の争い」)。そもそも全国知事会が国に対して見直しを求めていたにもかかわらず、だ。知事が批判されるのを嫌がってのことだったのだろう。

 また、コロナによる中止から3年ぶりに開催された徳島市の阿波踊りについても、踊り手の一部から陽性者が出たことから、「対策の不備」が指摘された。しかも、指摘するだけの報道が目立ち、コロナへの向き合い方についての提言はないという無責任な内容であった(「阿波踊り「コロナ感染」 残念な日本メディアの報道姿勢」)。

 コロナ感染者をゼロにすることはできない。だが、一度決めたことを変えられない、過去の失敗を生かすことができない日本人の悪い傾向はなかなか変えることができない(「一度決めたら変えられない 日本で続くコロナ対策の失敗」)。


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