「認知」領域におけるこれまでの日本の歩み
人間の「認知」領域は、間違いなく、現在、そして遠くない将来、国家間闘争において重要な要素を占めることとなる。世界的に、既存の陸・海・空・宇宙・サイバーの「5つの戦場」が認められる中で、この認知領域は、「第6の戦場」となりつつある。
しかし日本においては、偽情報に対する脅威認識が世界の主要国と比較して著しく低いのが現状である。それは、日本がこれまで海外からの偽情報の深刻な被害にあってこなかったこと、それゆえ対策も進んでいなかった。
日本はこれまで外交・安全保障分野における「情報」の扱いについて、旧態依然とした対応をとってきていた。たとえば、国際世論への働きかけという意味での情報発信戦略である。
日本で情報発信戦略の重要性が認識され始めたのは、12年12月に発足した第二次安倍晋三政権下であった。当時、中国や韓国との領土・主権および歴史認識をめぐって対立が激化し、中国や韓国は、米国などの国際社会において活発な広報活動や反日ロビー活動など日本批判を展開して、かなりの成果を収めていた。10年以降、全米各地で慰安婦碑・像設置の動きが加速し、現地の高校の世界史教科書に旧日本軍が慰安婦を強制連行したとする記述や、日本海の「東海」併記をめぐる問題が浮上してきていた。
このような状況を、安倍政権は深刻な危機と捉え、「主張する外交」をキーワードに掲げ、対外広報などで積極的に打って出るようになった。しかし、日本の情報発信は、中国や韓国などによる宣伝合戦に対し、「訂正」「反論」「申し入れ」という形で対抗していたこともあり、米国などで芳しい成果を上げずに終わってしまう事例が相次いだ。(詳細は、桒原響子『なぜ日本の「正しさ」は世界に伝わらないのか:日中韓 熾烈なイメージ戦』ウェッジ、2020年を参照されたい)。
このような反省から、日本政府はインターネットを通じた積極的な情報発信に力を注ぐようになり、最近では、YouTubeでの英語動画配信にも力を入れてきている。特にパンデミック以降は、オンラインでの情報発信にさらに積極的だ。しかし、ソーシャルメディア時代において、情報戦略が外交・安全保障上重要な鍵を握っているという認識が日本で十分に高まっているとは言い切れない。
日本では、海外からの偽情報を常に監視し、これに対処し、偽情報に対して時には訂正の情報を流す役割を担う政府組織が不在である。それゆえ、防衛省、外務省、総務省などが偽情報への対処において別々に対処しており、関係組織間の連携ができておらず、役割の調整などができていないというのが実情だ。
海外の偽情報戦争の戦い方
一方、民主主義の価値観を重要視する他の国や地域では、偽情報は、外交、軍事、経済、社会、公衆衛生、情報、科学技術などのすべての安全に関わる脅威であるという認識が広がっている。こうした認識は、主に16年の米国大統領選挙をきっかけとし、20年初頭からの新型コロナウイルスのパンデミック、そして現在のロシア・ウクライナ戦争において徐々に形成、深化していった。
そうした国や地域での偽情報研究や対策のスピードには、目を見張るものがある。たとえば、近年の欧州諸国は、ロシアの情報戦を念頭に欧州連合(EU)や北大西洋条約機構(NATO)の枠組みを通じた偽情報対策を強化してきているが、最近では中国からの介入にも警戒してきている。
台湾は、中国の情報戦や影響工作の脅威に直面しており、18年の台湾統一地方選挙以降、台湾政府をはじめ、非営利組織やテック企業などのあらゆるアクターが偽情報対策に取り組んでいる。台湾政府内には常に情報を監視し、偽情報には関係省庁のスポークスパーソンを通じた情報発信で即座に対処するなどのメカニズムがある。
また、台湾住民の約9割が偽情報を台湾の民主主義に対する深刻な脅威であると見るなど、市民の脅威認識レベルも高い。市民のリテラシー教育やファクトチェックなどの取り組みも進んでいる。