2024年7月16日(火)

日本人なら知っておきたい近現代史の焦点

2023年5月8日

西側が抱える武器支援のジレンマ

 最後に、それでも起きてしまった侵略にどう対処するかである。これは憂鬱なテーマである。満州事変において欧米列強は中国に対して具体的な支援を行わなかった。日中戦争においても支援は経済的なものに止まった。ウクライナ戦争においても、現時点(2023年5月)でNATO諸国は直接的な武力介入には踏み切っていない。武器支援は極めて段階的であり、西側製主力戦車の提供決断までには一年近くを要した。ウクライナが熱望する米国製のF16戦闘機の提供には未だ至っていない。

 欧米列強やNATO諸国の「微温的」対応を批判するのは容易い。しかし戦争は物理的な現象であって、死や破壊は観念上の存在ではない。援助国が大日本帝国やロシアのような強大国との戦争リスクに神経質になるのは当然である。特にロシアが世界最大の核保有国であり、核の使用がプーチンという独裁者の一存にかかっていることを考慮すれば、むしろNATO諸国の武器支援は大胆であるとの評価も不可能ではないだろう。

 NATO諸国がどれほど自覚的かどうかは明らかではないが、遅緩で段階的な武器支援はロシア側に冷静な状況判断と政策決定の時間を与えるだろう。また支援のエスカレーション・ラダー(はしご)の階梯を細かくして攻撃性を弱めることで、ロシアの報復エスカレーション・ラダーの飛躍を抑制するだろう。NATO諸国が1年がかりで決断した武器支援内容を、開戦当初に一度に決定していたならば、ロシアの反応が現在ほど自制的なものであったかは大きな疑問である。

 侵略国への制裁や被侵略国に対する援助は冷徹なリスク計算の下で行われる必要がある。かつて米国による対日石油輸出全面禁止が、目的とした日本軍の撤兵ではなく日米戦争を招来してしまったことを想起すべきである。

 しかし援助の遅滞は、それ自体に一定の合理性があり仕方がないものだったのだとしても、純軍事的に見れば反撃の阻害要因となっていることは否定できない。ひいては道徳的な問題も惹起せずにはおれないだろう。

正義と「平和」のジレンマ

 同様のジレンマは戦争のオフ・ランプ(出口)戦略にも現出する。われわれは戦争をどうやって終結させるべきだろうか。かつて米国は「ハル・ノート」を示し、日本に中国からの完全撤兵を迫った。いわば侵略国の完全屈服による正義の回復である。

 日本にとって石油禁輸は国家の死命を制する問題であったが、中国からの撤兵は4年に及ぶ日中戦争の意義を皆無にし、国内的に到底受け入れ不可能な要求であった。まず「ハル・ノート」を基礎にした交渉について閣内合意を取り付けること自体が不可能であるし、たとえ閣内合意に漕ぎ着けたとしてもクーデターの類を誘発したことは確実であろう。

 対米開戦は日本にとって外交的敗北であったが、問題を軍事的解決に委ねざるをえなかったという点で米国にとっても外交的敗北だった。中国からの日本軍の完全撤兵が、太平洋戦争で消えた10万人を超える米兵の命や、日本という反共のバッファー(緩衝材)を失った米国が東西冷戦で払わなければならなかった犠牲と釣り合うものであったとは到底思えない。

 現在、ウクライナは開戦前からロシアの占領下にあったクリミア半島と東部ドンバス地方を含む全ウクライナ領土の奪還を最終目標に掲げて抵抗を続けている。奪われた国土を復旧しようとするウクライナの要求は法的にも道徳的にも全く正当なものである。しかし、わが国が中国からの完全撤兵を受け入れられなかったように、ロシアにウクライナ領土からの完全撤兵を受け入れさせるのは極めて困難であろう。その場合、例えば低烈度の戦闘がだらだらと続くような場合はむしろ受け入れ可能なリスクであって、最悪のパターンはロシアによる核使用である。

 正義と「平和」が矛盾したとき、それをどうやって調和させるか。これは極めて困難な課題となるだろう。およそ80年前、米国はその試みに失敗しているのである。


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