米ウォールストリート・ジャーナル紙コラムニストのミードが4月17日付に‘Scolding Isn’t a Foreign Policy’(説教は外交政策にあらず)と題する論説を掲載し、米国は今や友人を必要としているが、説教では友人はできない、と指摘している。要旨は以下の通り。
米国主導の世界秩序崩壊の様を外交の勝利のように見せようとする専門家たちが多くいるが、サマーズ元財務長官が開発途上国関係者から言われた「中国からは空港が得られる。米国から得られるのは説教だ」との一言の方が、説得力がある。
説教を止めれば良いことも起こる。1年前にフェルディナンド・マルコスがクリーンとは言えない選挙でフィリピン大統領に選出された。民主主義ロビーは驚き、民主党上院議員6名がブリンケン国務長官宛書簡で民主主義と法の支配優先を警告した。これは米国の二国間関係のほとんど全てに共通で、説教し失敗したら制裁するということだ。
幸い現政権はまだ賢明だ。フィリピンは自由度では低ランクで汚職度では高ランクだが、地理的位置により、中国の台湾侵攻抑止には同国の協力が必須だ。民主主義ロビーを懐柔する一方で彼らの勧める介入から距離をとる中で、バイデン・チームは戦略的に重要な4基地へのアクセスを新たに勝ち取り、米比は過去30年で最大の合同軍事演習を実施した。
これは、サウジアラビアのムハンマド皇太子への説教の成果よりずっと良い。最近のベトナム訪問でもブリンケンは道徳主義より道徳性を優先した。インド太平洋での中国の覇権を防ぐ同志国の協調実現のため、民主主義ロビーが不満を持つベトナム共産党への批判は避けた。
外交政策と道徳性の関係を熟考したアチソン元国務長官は、「外交政策を倫理的・道徳的原則から導こうとする正義主義者は誤解を招くし誤解している」と言った。ソ連の専制浸透防止を目指す冷戦時代の米国の政策は道徳に深く根差していた。今や拡張主義的専制勢力と化した中国共産党の過度の野望は、世界全体で自由を危機に晒している。米国の利益と価値に鑑み、この野望には対抗すべきだ。
米国が外交資産をうわべの道徳主義的姿勢に浪費すべきと考えている自称民主主義活動家が多過ぎる。彼らは、中国の拡張を阻止する多数国連合構築より説教と制裁の優先を求める。彼らの問題は正義の過度な信奉ではなく、正義が実際何を必要とするかをほとんど考えないことだ。
道徳的外交にはしばしば現実主義が必要だ。ナチス・ドイツ撃破には同程度邪悪なソ連との連合が必要だった。ニクソン大統領が文化大革命最中の中国毛沢東と和解したのは、ソ連のより大きな脅威に対抗する必要があったからだ。
冷戦後、多くの米国人は、米国の外交政策の主要目標が国家安全保障から道徳の向上に変わり現実主義は道徳的臆病だと考えた。このような幻想はもはや維持できない。米国は今や友人を必要としている。そして、誰も説教者を好きにもならず信頼もしない。
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ミードの論旨には何の異論もない。これこそが日本が何度となく米国に求めていることだ。
この問題意識は、主要7カ国(G7)広島サミットにおけるアウトリーチ国(G7と欧州連合<EU>以外の国で地球規模課題の議論にゲストとして招待され参加する国々)選択との関係でも重要である。