22年にロシア軍がヘルソン州を占領した結果(ただし11月にウクライナが主要部分を奪還)、ウクライナ国内の野菜・果物が値上がりしたのも当然であった。今回のダム決壊によって、短期的にも、中長期的にも、ウクライナの青果物供給に支障が生じることが懸念される。
再びクリミアを襲う水不足
さて、ダム決壊と貯水池の水位低下は、ロシア側にとっても深刻な打撃をもたらすことになる。そもそも、ドニプロ川下流域では、ウクライナ側がすでに奪還した右岸(北西岸)よりも、ロシア側が占領を続けてきた左岸(南東岸)の方が土地は低く、実際、より広大なエリアが水没している。
むろん、目下ウクライナが反転攻勢を進めているところなので、ロシア側がいつまでこのエリアを支配できるのかは、不明である。とはいえ、ロシアはヘルソン州やザポリージャ州を自国に編入する手続きを終えており、当該地域の経済再建を進めたいという思惑があったはずだ。
その際に、ロシア支配地域においても、産業の中核となるのは農業である。それが、ダムの決壊により、条件がさらに厳しくなった。
そして、ロシアにとってさらに重大なのが、14年に一方的に併合したクリミアへの水供給である。ソ連時代の1960年代から、クリミア半島への水供給は、「北クリミア水路」を通じて行われてきた。なお、わが国の報道などでは「北クリミア運河」と呼ばれることが多いが、船が航行するわけではないので、ここでは正確を期して「水路」と呼ぶこととする。ちなみに、全長400キロメートル以上で、欧州最長の水路である。
問題は、北クリミア水路の起点が、まさにカホフカ貯水池であることだ。高低差を利用して、貯水池から水路へと自然に水が流れ込むように設計されているため、貯水池の水位が低下したら、水路も機能しない。
北クリミア水路を巡っては、ロシア・ウクライナ間で因縁がある。14年にロシアがクリミアを併合すると、ウクライナ側はまず土嚢を積んで北クリミア水路の水量を制限し、次にコンクリート製のダムを造って水を堰き止めた。そこから先の北クリミア水路は、数年間干上がった状態となっていた。
クリミアで利用する水の85%ほどは、北クリミア水路によるものだったといわれている。それを遮断されたことは、ロシアにとり大打撃だった。ここ数年、ロシア支配下のクリミアは現地の溜池と地下水だけでしのぐことを余儀なくされ、水不足が続いた。
22年2月24日にロシア軍がヘルソン州になだれ込み、真っ先に実行したことがウクライナ側が建設したダムを爆破し、北クリミア水路を復活させることであった。もちろん、「そのためにヘルソン州を攻めた」わけではないだろうが、「ヘルソン州を支配したら真っ先にやりたかったこと」であることは疑いない。
日本などと比べればはるかに小規模ながら、実はクリミアは旧ソ連における稲作地域の一つであり、地場産業としてはそれなりに重要であった。当然、水を多用する作物ゆえ、14年以降の水不足の時期には、稲の作付けはできなかった。
22年にロシアが北クリミア水路を奪うと、灌漑が復活し、稲作も再開された(しかも初年度は農業用水がタダという大盤振る舞い!)。こうしてクリミアは22年、8年振りに米を収穫することができたのである。