2024年5月5日(日)

#財政危機と闘います

2023年6月28日

 最近、連合の芳野友子会長が専業主婦(夫)らを対象とする国民年金の第3被保険者制度について「不公平な制度」だと指摘し、廃止を求める方向で検討していく考えを示している。

(Yusuke Ide/gettyimages)

 第3号被保険者制度は1985年4月の基礎年金導入に伴って創設された。なぜ、基礎年金導入に際していわゆる専業主婦(夫)を「優遇」する第3号被保険者制度の創設が必要だったかを理解するには、これまでの年金制度を振り返る必要がある。

戦前を源流とする日本の公的年金制度

 日本の公的年金制度の源流は戦前にある。すなわち、1941年に主に男子の工場労働者を被保険者とし、養老年金等を支給する労働者年金保険法が制定され、翌42年から実施された。第二世界大戦末期の44年には、厚生年金保険法へと名称が改められ、被保険者の範囲が事務職員、女子にも拡大された。

 戦前に創設された厚生年金の財政方式は積立方式であったが、敗戦後のハイパーインフレーションによって、積立金が大幅に目減りしてしまい、公的年金は実質的に有名無実になってしまった。そもそも、42年に始まった養老年金は受給者がいなかった。

 しかし、54年には、養老年金の受給が始まるため、男子の支給開始年齢が55歳から60歳に段階的に引き上げられ、それまで報酬比例部分のみであった養老年金を定額部分と報酬比例部分の2階建ての老齢年金とし、また、保険料負担の急増を避けるため、保険料率を段階的に引き上げるなど、厚生年金の再建が急がれた。こうして企業の勤め人や公務員については、しっかりした公的年金制度が確立された。

 一方で、自営業者や農業者らを対象とする公的年金制度は存在していなかった。しかし、高度経済成長が進展、農村など地方部からの若者人口の流出、それに伴う核家族化の進行や人口の都市集中が進むなか、田舎に残してきた老親の面倒を誰が見るのかという不安が広がる。自営業者や農業者等厚生年金や共済年金等の対象とならない人を被保険者とする国民年金法が59年に制定された。

 これにより、61年4月にいわゆる国民皆年金が実現した。ただし、この時点では、専業主婦は国民年金への加入は任意だった。つまり、当時は女性の年金権が保障されていなかったのだ。

女性の年金権確立へ

 このように、61年にいわゆる国民皆年金が実現したものの、70年代には早くも、適用漏れの者、短期加入者や無年金者も多く存在し、国民皆年金が形骸化しつつあった。そこで、77年12月に社会保障制度審議会から当時の福田赳夫首相へ「皆年金下の新年金体系」という建議が出され、全国民共通の年金で、全額税方式とする「基本年金」構想が議論された。これは、経済発展に伴う就業構造の変化によって、当時の国民年金制度が年金受給者数と被保険者数のバランスを失し財政危機に陥っていたこと、先にも述べた女性の年金権の確立という問題意識が反映されている。


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