こうした移行期での生活習慣の変容がS.B.さんの病気に少なからず影響しているとみて、S.B.さんと私は、どうやってS.B.さんの生活に運動を組み込むかを相談してきていたのである。
ところが、散歩から始めてせっかく軽いランニングがある程度習慣になってきたところへ、今夏はこの猛暑続きである。熱中症警戒アラートも出るところで、戸外での運動は危険である。こうしたタイミングで、今回の等尺性運動の研究結果が発表となり、「これが使えるのでは!」と期待したのだ。
継続性と安全面での懸念
運動の健康への効用は多岐にわたる。睡眠を改善し、健全な体重を維持し、ストレスを和らげ、生活の質(QOL)を向上させる。身体活動によって、次の疾患や状態になるリスクを減らすこともわかっている(カッコの数字は、最大の減少割合):2型糖尿病(40%)、心血管疾患(35%)、転倒とうつ(30%)、関節痛と腰痛(25%)、大腸がんと乳がん(20%)。
運動の効用は、これら生理的・身体的なものを超えて、爽快感や達成感などの心理的なもの、さらに人や地域とのつながりができるなどの社会的効用も重要である。
家庭医は、ある患者に検査や治療などの診療上の働きかけ(介入とも呼ぶ)をするかしないか考えるときに、それぞれの介入の良いところ(有益性)と悪いところ(害)を比較している。
運動についても、上記のような有益性を考慮する一方で、害も考える必要がある。特に、該当する運動を継続して安全に行うことができるかどうかが極めて大切だ。
この点から、「壁スクワット」と「プランク」にはどうも懸念がある。実際にS.B.さんと私で試してみて、そして複数の同僚からもヒアリングをしたが、これらの等尺性運動は「きつい」。昨今は「筋トレ」ブームのようにも見え、「このぐらいやらなくちゃ!」という若いマッチョな人には向いているかもしれないが、高齢者では(若くても?)これらの姿勢をとることさえ難しい人も少なくないだろう。
然るべき準備のトレーニングをした上で、それぞれの患者に合わせた強度とスケジュールで行わないとかえって身体を傷めてしまうかもしれない。床面が滑りやすいと、「壁スクワット」では尻餅をついて転んでしまう危険もある。
千里の道も一歩から
そんな中、運動に関してまた別の興味深い臨床研究が『欧州心臓病予防医学雑誌』に8月9日発表された。この研究も、学術雑誌に発表された翌日に『BBC News』で取り上げている。英語ということもあるが、海外メディアの健康に関するニュースの反応は早い。幸い『Wedge ONLINE』でこの記事の日本語版を読むことができる。
この研究では、22 年 6 月までに発表された、歩数と心血管疾患による死亡、およびあらゆる原因による死亡について検討した17件の臨床研究のデータを用いてメタアナリシスを実施した。プールされた患者数は22万6889人だった。
ごく簡単に結論を述べると、1日3867歩以上歩くとあらゆる原因による死亡率が減少し、1日2337歩以上歩くと心血管疾患による死亡率が減少した。1日の歩数が1000歩増えるごとにあらゆる原因による死亡率が15%ずつ減少し、500歩増えるごとに心血管疾患による死亡率が7%ずつ減少したのである。