インドネシアのジャカルタとバンドンを結ぶ高速鉄道を、日本主導で建設する動きが進んでいたかに見えた2015年、中国主導案が急浮上し、8月にはジャカルタにて「中国高速鉄道展」が開催された。当時現地を訪れていた筆者も参観したところ、賑わう会場には所狭しと中国高速鉄道の模型が並べられ、中国「国産」技術が07年の開業から僅か数年間で如何に進歩したかを強調していた。
そこで筆者は「遺憾ながら日本案は通らない」と直感した。2010年代に入り、インドネシアが経済成長を続け、急速に台頭した中間層が新しいライフスタイルを手に入れる中、この展示は彼らに「中国との関係を深めればこれだけのものが簡単に手に入る」ことを明快に示したからである。しかも中国は当初、インドネシア政府による債務保証を不要とする態度をとった。また中国案は費用削減のため、ジャカルタ・バンドン双方の起点を中心部から離れた場所とし、新都市開発との相乗効果をアピールした。
インドネシア側には、単に高速鉄道を建設するだけでなく、こうした全体的な安さ・早さ・新しさの印象が魅力と映り、日本案はいくら堅実であっても最終的な訴求力を欠いたことは否めない。
薄氷の建設計画も開業にこぎつけ
とはいえ、その後は中国経済のかげりや用地買収難、新型コロナウイルス感染拡大もあり、工期と建設費の増大をめぐる難題が山積し、多くの疑念がインドネシア国内からも起こった。
実際、高速鉄道の開業直前までは薄氷の連続であった。今年8月17日の独立78周年に合わせて開業するとの話が広まった中、筆者も8月上旬に沿線を訪れたものの、路盤崩壊のために訓練運転は中止され、開業も自ずと延期された。バンドン中心部へ向かう利用客のためのアクセス列車乗換駅とされたパダララン駅も、巨大な駅舎は到底完成間近には見えず、多くの中国人作業員が工事を続けていた。
ところが9月には一転、ジャカルタを訪問した中国・李強首相をはじめ招待客を中心とした運行が始まり、WHOOSH(ウッス。時間を節約する最適で素晴らしいシステムの意)という愛称も決まった。
そして10月17日、北京での第3回一帯一路サミットに合わせて開催された中国・インドネシア首脳会談の場で、高速鉄道の開業が正式に宣言された。そこで早速、試乗を楽しもうとする中間層で、一日7往復(週末は11往復)体制で走る列車が盛況を呈している(WHOOSH公式X=旧ツイッターによる)。