「危険」情報よりも被害の〝体感〟
ペンシルベニア大学のアジタ・アトレヤ氏とジョージア大学のスザンナ・フェレイラ氏は、米国のジョージア州で1994年に起きた洪水の影響を分析し、洪水で被害を受けた場所で住宅取引価格が大きく下がり、その効果はハザードマップで洪水リスクを指摘された場所の方が大きいことを示した。しかし、ハザードマップでリスクを指摘されながら、洪水被害を受けなかった地域の下落は大きくなかった。
これは、ハザードマップの含意は認知されていたものの、実際に被害を目の当たりにすると危険性を身近に感じ、人々が大きく反応することを示している。さらに、この2人とジョージア大学のウォーレン・クリーセル氏の研究では、こうした大きな取引価格下落効果は数年で無くなることも示されており、実体験の影響も永続的ではないことが分かっている。
東カロライナ大学のオクミュン・ビン氏とクレイグ・ランドリー氏は、ノースカロライナの数度にわたるハリケーンの影響の住宅販売価格への影響を分析した。その結果、96年の2度のハリケーンによる被害の前は洪水危険地域の影響は観察されなかったものの、96年のハリケーンを経験した後は影響が出てきて、99年の大型ハリケーンの後には洪水危険地域の地価のそうでない地域の地価に対する下落率が8.8%にまで達したことを示した。しかし、その影響は5~6年で無くなったことも明らかにしている。
ハザードマップの改訂という出来事に注目して、その地価への影響を吟味した論文も存在する。東京大学大学院経済学研究科の牧野佑哉氏は、2016年の水防法改正により浸水想定が変化した地点で地価がどう変化したかを東京都区部に注目して検証し、住宅地について、ハザードマップ上で新たに床上浸水の危険性が指摘された地点の地価は低下し、その低下幅は時間が経つにつれ拡大していたことを示した。この結果は、ハザードマップそのものが人々の行動に影響していることを示している。
上記の研究結果から分かるように、ハザードマップの情報はある程度人々に認知され、その行動に影響を及ぼしているようである。しかし、その程度は実体験により左右されることもあり、時間を通じて変化することもある。
防災に関する情報を人々が認知し、それに基づいて行動していることは、防災情報発信が実際に役に立っていることの証である。ただ、その効果は実際の被害の経験の方が大きく、その影響は時間が経つにつれて薄れていくことも留意する必要がある。
政府や自治体は会計検査院に指摘されたハザードマップの記載漏れをすぐに是正しなければならない。また、その発信にはわかりやすさを心がけるとともに、過去の被害の経験を忘れない工夫が必要であるだろう。