本家の中国で忘れられた儒教精神は韓国が継承
儒教は始祖孔子以来、中国で発展して朝鮮さらには日本でも為政者の支配原理として受容されてきた。ところが、本家の現代中国では儒教精神は庶民の日常生活では忘却の彼方のように見える。胡錦涛時代には、共産党指導部により“文明精神”の啓蒙が盛んに行われていたことを思い出す。具体的にはバスや地下鉄を乗り降りするときは列に並んで整然と乗降すべし、煙草やごみのポイ捨て禁止、公共交通機関では老人や身障者などに席を譲るべし、などが標語としてビル、街頭、駅、バス停などに掲示されていた。
先進国と比較して中国民衆が礼節に欠け、社会生活の秩序を守らず、総じて公徳心がないことを踏まえて、2008年の北京夏季オリンピックまでに“民度”を向上させようという官製道徳運動であった。
他方で韓国では儒教精神をバックボーンにした行動規範が若者の間にも連綿と継承されていることを訪韓するたびに実感する。25年ほど前、ソウル市内の駅のエスカレーターが怖くて乗れないお婆さんが立ち往生していると、数十メートル離れたところから休暇中の若い兵士が駆け寄ってきて老婆を背負ってエスカレーターに乗って下りて行った光景を思い出す。
このような善行を今日でも頻繁に目にするし、今回の自転車旅行でも古希ジジイに対して韓国の市井の人々は敬老精神旺盛であり、毎日さまざまな親切にあずかった。仁川市内の公園の東屋にテントを設営して寝ていた時のことだ。深夜に外から呼びかける声にテントから顔を出すと若い二人の警察官が最敬礼して「何か問題はありませんか」と尋ねる。
そして「この公園は、われわれがパトロールしているので安全です」と説明。日本から来て韓国を自転車旅行していることを説明したら、一人の警察官がスマホの翻訳アプリを見ながら「今夜は安心してゆっくりお休みください」とたどたどしい日本語で挨拶して再び最敬礼して去った。
儒教的家族制度、親戚付き合いの重荷
逆に韓国社会で儒教的伝統がマイナスに働いていることもある。少し前になるが、2015年にスペイン巡礼街道で知り合った43歳の韓国青年は、20年以上も実家に帰っていないと語った。彼は高卒で地方の工場勤務。同い年の大卒ホワイトカラーのサラリーの5分の1以下。
韓国では旧正月に帰省するときは老いた両親にまとまった金額の年賀を渡す習慣があるが、その金額を用意できないので、メンツがたたず帰省していないと言った。また旧正月で親族が集まると学歴や勤務先で比較され格付けされるので、余計に帰省したくないと心情を吐露した。
2016年にミャンマーのヤンゴンのホステルで同宿した韓国青年もやはり高卒で工場勤務していた。勤続15年で報奨金をもらったのを機会に退職して、すべての預金を下ろして1年間の予定で世界一周する途上であった。彼も親に合わせる顔がないと10年以上帰省していなかった。
1910年の日韓併合まで519年間、朱子学が李氏朝鮮の支配原理
7月5日。ソウル国立博物館。東京の国立博物館と比較して格段に巨大な超モダン建造物に圧倒される。
1392年李成桂が李氏朝鮮を建国すると、前王朝の高麗が厚く保護した仏教を排斥して儒教、とりわけ朱子学を支配原理とした。朱子学をキーワードとして国立博物館の展示と解説を辿ると朱子学が李氏朝鮮に与えた負の部分が浮かび上がってくるようだ。
朱子学は“礼”を大切にして上下関係を何より重んじる「大義名分論」を中心に据えた。このため王家、貴族である両班ヤンバンの下に庶民・賎民という身分制度ができた。身分制度の根幹は血筋である。名門の出自が高貴な身分の正統性を保証する。それを証明するのが家系図である。この家系図が今日の韓国の宗族集団のベースとなっている。
明が滅びて清が中国を支配すると、李氏朝鮮こそが明の大義である朱子学を継承する国家であるという“小中華思想”を抱くが、19世紀末には清の保護の下で安泰を図るという“事大主義”に陥った。519年間の支配原理である朱子学が日本植民地時代を経て現代にも残滓が生きている。
李氏朝鮮の王家の先祖代々の霊を祀る宗廟
7月6日。李氏朝鮮王家の先祖代々の霊を祀る宗廟を見学。解説員の韓国女性が巧みな日本語で広大な廟を案内してくれた。
筆者に強烈な印象を残したのは「豊臣秀吉軍の侵略により、朝鮮全土は焼け野原になり王宮や宗廟も焼失しました。時の王様は最も大切な王家の先祖の霊を慰めるために真っ先に全ての財力を投じて宗廟を再建しました」という解説である。
秀吉軍の侵略により田畑の3分の2が失われ国土は荒廃の極みにあったという国家の大惨事のあとに乏しい国庫を傾けて真っ先に着手したのが、宗廟再建と聞いて大きな違和感を覚えた。為政者として塗炭の苦しみを受けた“生きている民衆”の救済よりも“あの世の先祖代々の霊”を慰めることを最優先したというのだ。先祖への礼を何よりも重んじる朱子学の教えからすれば当然なのだろうが釈然としない。
水原華城、韓流ドラマ『チャングムの誓い』のロケ地で意外な発見
7月8日。水原スウォンの華城ホアソンの行宮を参観。李氏朝鮮時代の王宮で女官として波乱万丈の人生を送ったヒロインを主人公とした韓流ドラマ『チャングムの誓い』の撮影地である。
行宮のなかに王に仕える“宦官”の部屋というのがあった。李氏朝鮮時代にも宦官の制度があったことに驚いた。朝鮮は古代から中国の影響を受け新羅、高麗、李氏朝鮮と歴代韓国王朝は中国の冊封体制(韓国王は中国皇帝の臣下という立場)の下にあり中国に朝貢してきた。それゆえ中国後宮の宦官の制度もそのまま取り入れたのだろうか。
ちなみに日本は中国に朝貢(遣隋使・遣唐使・勘合貿易など)したものの、聖徳太子以来一貫して中国に対して独立国として外交関係を維持してきた。それゆえ、日本は中国の制度・文化・思想などを客観的に判断して取捨選択して取り入れることができたのではないか。日本は仏教・儒教を受容したが、官僚登用試験である“科挙の制度”と後宮に仕える“宦官の制度”は採用していない。