2月19日、厚生労働省が「飲酒ガイドライン」を発表した。国として初めて飲酒に関するガイドラインを制定したもので、具体的な数値として、「1日あたりの純アルコール摂取量が男性で40グラム(g)以上、女性で20g以上が生活習慣病のリスクを高める」とされた。
純アルコール量20gは、缶ビール500ml1本分。「健康でいたいけれど、酒はやめたくない」という酒好きの人、そして現代の若者を代表するような「あえて飲まない」人、それぞれの需要満たすのがノンアルコールや低アルコール飲料であり、実に多彩な市場を形成している。本記事では、この「アルコールの健康化」の歴史を紐解いていく(本記事は著書『熱狂と欲望のヘルシーフード』(ウェッジ)より一部を抜粋)
純アルコール量20gは、缶ビール500ml1本分。「健康でいたいけれど、酒はやめたくない」という酒好きの人、そして現代の若者を代表するような「あえて飲まない」人、それぞれの需要満たすのがノンアルコールや低アルコール飲料であり、実に多彩な市場を形成している。本記事では、この「アルコールの健康化」の歴史を紐解いていく(本記事は著書『熱狂と欲望のヘルシーフード』(ウェッジ)より一部を抜粋)
鎌倉時代に語られた「酒」の姿
「酒は百薬の長」は、古代中国・後漢の歴史書『漢書』にある言葉。酒はどんな薬にも勝るという意味だが、『徒然草』で吉田兼好は「百薬の長とはいへど万(よろず)の病は酒よりこそ起れ」、つまり「酒は百薬の長といわれているが、万病の元なのだ」といっている。
この随筆が書かれたのは14世紀前半、鎌倉時代の終わり頃。ということは、約700年前にはすでにアルコールが原因で体を壊す人、トラブルを起こす人がかなりいたのかもしれない。
しかし、兼行は酒を無理強いする風習を批判し、悪酔いしたときの弊害をあれこれ書きつのったあとで、「このように酒は疎(うと)ましいものだが、ときおり捨てがたいこともある」と、月夜や雪の日の朝にゆったりと会話を楽しみながら盃(さかずき)を交わす楽しさ、冬に狭い部屋で気が置けない者と火を囲み差し向かいで大いに飲む愉快さ、親しくなりたいと願っていた人が酒好きで盃をやりとりするうち打ち解けられた嬉しさなど、飲酒の喜びを大いに語ってこの段を締めくくっている。いつの時代も、分かっちゃいるけど止められず、飲み方によって毒にも薬にもなるのが酒ということだろう。それにしても、鎌倉時代から「アルコール・ハラスメント(飲酒の強要、意図的な酔いつぶし、飲めない人への配慮を欠くこと、酔った上での迷惑行為など飲酒にまつわる人権侵害、通称「アルハラ」)」が横行していたなんて、びっくりだ。