若い日に出会った7歳年下のピカソを彼女は「靴磨きの美青年みたいだった」と振り返っている。意気投合して霊感を得たピカソは、この女主人をモデルに『ガートルード・スタインの肖像』を描いた。歳月を隔て出会った23歳の無名作家、ヘミングウェイに彼女はあの「靴磨きの美青年」を思わせる、青年のピカソの面影を重ねていたはずである。
近代美術の革命『アヴィニョンの娘たち』を生む予兆
ラヴィニャン街の「洗濯船」に住んでいたスペイン出身のパブロ・ピカソは、「色彩の魔術師」のアンリ・マティスとともに、すでに「天才」という評判をとっていた。毎週土曜日に開くスタインのアトリエのパーテイに頻繁に足を運ぶのは1905年ころである。
『花かごを持った少女』を買ったスタインは、貧しさのなかに輝くこの青年の魅力と才能をひそかにたたえた。ピカソも田舎の母親を思わせる女主人のどっしりとした存在感から強い霊感を受け止めて、モンマルトルのアトリエにモデルとして迎えた。
1906年、スタインは32歳、ピカソは25歳の時である。
女主人がポーズをとっていると、カンバスに向かうピカソの傍らで同棲していた恋人のフェルナンドが「ラフォンテーヌの寓話」を大声で読みはじめた。もちろんモデルへの嫉妬からであったろう。
この『ガートルード・スタインの肖像』は今日、「青の時代」から「バラ色の時代」の写実的世界を経て、フォーヴィズムからキュビズムという抽象表現へ転換するピカソの節目をなす作品といわれる。その完成にいたる経緯は、「カメレオンのように変化する」という画家ピカソの〈絵画の革命〉を予感した、ひとつの証明のようである。
ピカソはモデルを前にしていったん完成させたスタインの肖像を突然塗りつぶす。
そしてカンバスを放置したまま、故郷のスペインへ旅に出てしまった。「あなたを見ていると、あなたを描くことができない」という言葉を残して。3週間後にアトリエへ戻ると、今度はモデルなしでこの肖像画をようやく完成させた。
〈ガートルードは、自分で気づいていなかったが風変りな風采の女で、そのずんぐりとした量感豊かな肉体、整った顔立ち、知的な表情、それに男のような声は、彼女の強い個性をよく表していた〉(高階秀爾ほか訳)
ピカソの伝記作者のローランド・ペンローズは『ピカソ その生涯と作品』でガートルードの風貌をこのように見立てたあと、ピカソが描いた肖像画が「最初の画面の顔はよく似ていて、彼女は満足したが、ピカソは不満であった」と述べている。
ピカソが完成させたガートルードの肖像は、モデルの実像とは相当にかけ離れた抽象化が施されている。全体が褐色の静謐な画面で、ソファにしっかりと腰を下ろしたガートルードの顔は鋭角的な線で描かれており、どこかで原始美術の仮面を思わせる凝縮した表情が、モデルの実像から離れた強い象徴性を浮かび上がらせている。
「みんな彼女は肖像画にちっとも似ていないと考える。だがどうだっていい。きっとこの肖像画にそっくりの顔になるよ」とピカソは言って、完成した作品をモデルのスタインに贈った。写実絵画が目指した現実の再現という命題は、もはやここにはうかがえない。