2024年11月21日(木)

絵画のヒストリア

2024年4月7日

〈失われた世代〉とヘミングウェイ

 〈こんどの戦争に従軍したあなたたち若者はね。あなたたちはみんな、《失われた世代》なのよ〉

 〈ミス・スタイン〉はある日、ヘミングウェイにそう言った。故障した自分の古いT型フォードを修理に持ち込んだ時に、自動車整備工場の主人が手際の悪い若い整備工に「おまえたちはみんな《ジェネラシオン・ペルデュ》(失われた世代)なんだ」と叱責している場面を思い起こして、その言葉をヘミングウェイに投げかけたのである。

 もちろん、ヘミングウェイがのちに書く最初の長編小説『日はまた昇る』の冒頭で、「ガートルード・スタインの言葉」としてエピグラフに掲げた「あなたたちはみんな失われた世代なのです」という言葉は、ここに由来する。

 戦線で心身に傷を負って戻った、欧州の戦間期を生きる若者たちの苦く虚無的な心象をとらえた、巧みな名付けである。しかし、イタリア戦線に身を投じたヘミングウェイの脳裏には、傷病兵を満載した搬送車の「夥しい死」と隣り合った重苦しい記憶が蘇っていた。

 「人を自堕落な世代と呼ぶなんて何様のつもりなんだ」

 〈ミス・スタイン〉が発したこの言葉を聞いた時に抱いた強い違和感を、ヘミングウェイ『移動祝祭日』のなかでこのように記している。

 或る爽やかな春の日の午前、ヘミングウェイがいつものようにミス・スタインのサロンを訪れてメイドに来意を告げ、女主人が二階から降りてくるのを待っていると、アリスの異様な話し声が聞こえ、それにかぶさるようにミス・スタインの懇願する声が響いてきた。

 「やめて、子猫ちゃん。やめて、やめて、お願いだから、やめてちょうだい。どんなことでもするから」

 ‥‥ふだんの男性のように野太いミス・スタインの声は、痴話げんかの果ての甘えた恋人の声となって階下に伝わってきた。いたたまれなくなったヘミングウェイはすべてを察して、その場を去った。ミス・スタインとアリスの張りつめた琴線のような愛の絆を前に、ヘミングウェイは立ち去るほかはなかった。彼ばかりではなく、セザンヌやピカソの名画が壁に並んだフリリュース街のミス・スタインのサロンから、常連だった少なくない古い友人たちが女主人と喧嘩別れのようにして去っていくようになった。

 〈彼女はローマの皇帝をしのばせる風貌になった。もちろん、ローマの皇帝をしのばせる風貌の女が好きだというなら、それはそれでよかったろう。だが、かつてはピカソが彼女の肖像を描いたことがあって、そこに描かれたフリウリ地方の農婦のような相貌を、私はまだ思い出すことができたのである〉

 ミス・スタインの〈小さな王国〉から離れたヘミングウェイは、それから第一次世界大戦の戦傷を抱える「失われた世代」の虚無を描いた最初の長編小説『日はまた昇る』を発表した。〈ミス・スタイン〉が投げかけた世代への批判に対し、作品でこたえたわけである。

 「移動祝祭日」の陶酔感(ユーフォリア)は引き潮のように去った。ヘミングウェイは1927年に妻のハドリーと離婚し、「ヴォーグ」の編集者のボーリン・ファイファーと再婚した。二人は米国へ帰国してフロリダのキーウェストに新しい拠点を構えた。

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