安藤優子は平成のニュースの最前線を伝え続けてきたキャスターだ。
「平成は激動の時代でした。阪神や東日本など相次ぐ大震災、そして拉致被害者の帰国や日朝首脳会談など世界との関係も大きく動きました」
そんな平成の激動を伝える時に、安藤は「現場」にこだわり続けてきた。なぜなら現場に立ってみなければ分からないことがあるからだという。
今でも幾度も思い出す光景がある。1993年に起きた北海道南西沖地震で奥尻島に飛んだ安藤は、町民体育館で大きなペットボトルを抱えている少年を目にした。
「自宅に水を持ち帰るのだろう」。最初はそう思ったが、少年が向かった先は遺体の安置所だった。少年は火災のすすで真っ黒になっている遺体の顔を水で幾度も拭い続けていた。
「全く想像を超える光景でした。自分だって喉が渇いているだろうに。ニュース原稿にすれば、『地震から一夜明けて自衛隊の給水車がやってきて、人々は皆、ペットボトル片手に並んで給水していました』と5W1Hの原稿で終わる。自分の家族のご遺体を水で拭っていた少年のことなんてどこにも原稿には反映されていません。でも現場の悲惨さとか、震災のむごさってそこにあるわけじゃないですか」
カメラのスイッチは切ってもらっていた。だから、テレビの画角には映らなくとも、そこにいる人間の姿、美しさも悲しさも含めてその営みを知ることで、より深いものを視聴者に伝えることができると安藤は考えた。
現場を求めて、アウシュビッツに響く靴音を自分で確かめ、グラウンドゼロの傷痕に涙を流した。搭乗していたヘリコプターが燃料切れで墜落するかの状況でも笑い飛ばして、最前線で人の営みを伝えてきた。
自分の全てをかけて真摯に伝えたいと現場に立ち続ける原動力は、「知りたい」という好奇心だと安藤は話す。「いざ取材が始まると猪突猛進に現場に入り込んでいく姿から、『取材ウリボー』と呼ばれたこともありました」