サントリーニ島からパロス島へのフェリーにて(承前)
香港娘のマシンガントーク
ハーバード・ロースクールのスーパーカップルと別れて、コーヒーでも飲もうとカフェテリアに行くとテーブルはほぼ満席。近くのテーブルの椅子が空いていたので二人連れの東洋系女子と相席。二人は香港出身で現在イタリアのボローニャで勉強している交換留学生。
話し始めたらマシンガントークが止まらない。イタリアでボーイフレンドが出来たか聞くと「とんでもない。イタリア男は軽薄で怠け者で遊び好きで、しかも超マザコン」「そうそう一度デートに誘われたけどお母さんと携帯でしょっちゅう電話して……」とにべもない。
中国に返還後の香港の変化について尋ねると、
「北京は政治的に香港を中国に同化させるべく躍起だわ」
「香港には独自の文化や伝統があるけど北京はそれを抹殺しようとしている」
「いい例が広東語よ。広東語や繁体字は香港の伝統や文化そのものだけど、北京はあの手この手で普通話(中国の標準語)と簡体字を強制しているわ」
「このままでは、おそらく十年後には広東語は死語と化すわ」
「香港もチベットと同じ運命ね。自由がどんどん奪われて窒息しそうよ」
「北京は香港の住民同士が監視しあい密告する制度や組織をじわじわと固めている」
「香港で多少なりとも経済的に余裕がある人間は常にカナダや豪州への移住を考えて準備しているわ」などなど、とどまるところを知らない。
フェリーボートでの会話の半年後に香港で学生を中心とするストライキが発生した。私はメールで彼女らに安否を尋ねたがなかなか返事が来ない。
「座り込みに参加していて返信が遅くなりごめんなさい。どんなに反対しても結局北京中央の圧力に負けることになる。香港の将来はhopelessです」という悲観的返信が一週間後に来た。
さらに10カ月後の今夏、すなわち2015年7月に一人からメールが来た。
「タカ、私は今年大学を卒業しました。でもすぐに香港で職を探すことはやめました。一年ほど世界各地を旅行して自分の将来をじっくりと考えることにしました。北京の支配下で中国公民として香港で生きてゆくのか、それとも香港系移民として外国で生きてゆくのか。悲しいことに香港人として香港で生きてゆく選択肢は奪われてしまったのです」