アームストロングはドーピングにより、ツール・ド・フランスでの7連覇を含め、数々のタイトルを剥奪され、本人も禁止薬物の使用を認めました。私自身は、ツール・ド・フランスを見たことはありませんが、ドーピングのような逸脱行動が起こる構造にとても興味を惹かれました。本書は構造を分析する視点よりは、その実際を克明に記述することに力が注がれています。読者は、頁を繰る手が止まらないほどスリリングなこの記述のなかに、おのずと問題の構造を見て取ることになるのです。こうした逸脱の構造というのは、拙著『歌舞伎町はなぜ<ぼったくり>がなくならないのか』(イースト新書)の関心とも繋がるところがあります。
ハミルトンは、初めてドーピングに手を染める時、チームの他のメンバーに遅れを取りたくなかったこと、またドーピングをせずにそのまま弱い選手として競技生活を続ける選択肢がなかったことを告白しています。つまり、長い年月、レーサーとしてのキャリアに投資してきて、そこからドーピングをせずに身を引き、自転車以外で生活の糧を得ることは選択肢に含まれ得なかったのです。
皮相な見方からは、アームストロングやハミルトンという個人が弱かったから、ドーピングに手を染めたと思われるかも知れません。しかし本書はそういった個々人の弱さではなく、むしろ構造的な問題にわれわれの目を向けさせます。単なる内幕暴露話ではまったくなく、一般的な社会構造や、なぜ人間は過ちを犯してしまうのかということへの示唆を与えてくれる大変素晴らしい本です。
そして3つ目は『築地』(テオドル・ベスター/木楽舎)です。今年は、築地市場の豊洲移転延期が話題となりました。本書で描かれているのは「築地がいかに不思議な市場であるか」であると私は考えます。時事問題的な取り上げられ方に留まらない視点のキッカケになればと選びました。
本書はハーバード大学の教授で文化人類学者である著者が、築地のことを隅から隅までよく調べた本だ、と評価されることも多いかも知れませんが、それだけでなく以下のような指摘が示唆に富んでいます。