2024年12月12日(木)

野嶋剛が読み解くアジア最新事情

2019年6月20日

香港政府を動かした「天の声」

 見逃してはならないのは5月8日に中国で全国公安工作会議が開催されたことである。香港紙「明報」が伝えるところでは、習近平国家主席は会議上で、香港の逃亡犯条例の改正について、「法律の根拠があり、現実に切迫した必要もある」と述べ、審議の本格化を望んだ「天の声」を、香港の窓口「中聯弁」から香港政府や親中派議員に伝えられたというのである。

 確かに怪しいのは、まもなくして逃亡犯条例改正の「6月27日の可決」ということが打ち出され、さらにそれがデモによって20日に早められた。28日~29日は大阪でG20サミットが開催され、米中首脳会談が予定されている。その結果次第ではさらに資金逃避が加速しかねない。その前に香港という出口を塞いでおけないかという計算があったのだろうか。G20を前にこの問題を解決しておくほうが議題として目立たなくなる考慮も働いていただろう。

 だが、その中国の「大国の利害」と、「香港社会の利害」は、一致するわけではない。言論の自由が縮小しても、民主選挙が実施されなくても、ひたすら歯を食いしばって我慢をしていた香港人だが、「ちょっと政府の悪口を言っただけで中国に連れ戻される」という想像は、我慢の限界を超えたようだ。香港の人口の4分の1は、共産中国の成立後に香港に逃げてきた人たちで、共産中国への恐怖感は心の中に常に潜んでいる。

 その点は、キャリー・ラム行政長官も知っていないはずはないのだが、やはりちゃんとした選挙で選ばれていない政治家の感覚はずれるものである。市民の怒りを見誤り、103万人デモが起きても強行しようとして失敗し延期を表明。そこで謝罪をしなかったので200万人デモでさらに叩かれ、撤回と謝罪を改めて表明する恥ずかしい展開となった。

 キャリー・ラム行政長官は、中国の中央政府と香港人との間のバランサーの役割を担うのが行政長官であることを甘く見たとしか言いようがない。中国の代理人ではダメなのである。今回、中国から「金持ち対策」で条例改正の要望があったとしても「もうすぐ天安門30周年。まだしばらく待っていてほしい」とかわしておけばよかったのだが、よほど中国からの圧力が強かったのか、あるいは忖度したのか、あるいは自信過剰になっていたのか、そのまま突っ走ってしまった。今後の辞任はわからないが、2022年の再選はなくなったと見るべきではないだろうか。

G20サミットを前に、習近平が失ったもの

 要するに、今回、習近平国家主席ら中国指導部は米中貿易戦争で資金逃避対策の必要に迫られて、殺人事件を「奇貨」として、香港の逃亡条例改正を図ったと考えることができるだろう。香港政府も、その中国の方針に沿って動こうとしたが、香港社会の激しい反対に腰砕けとなり、G20を控えた中国もこれ以上の混乱は望まなかった。この騒動によって損なわれたのは、キャリー・ラム行政長官の政治生命であり、習近平指導部による一国二制度の堅持に対する国際的信用だったのではないだろうか。自ら「墓穴」を掘ったとまでは言わないが、一種の自滅であった可能性が高いのである。

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