2021年7月1日、香港は中国返還24周年を迎えた。毎年、大規模なデモが行われる日だが香港当局は新型コロナウイルス対策を理由にデモを認めず、1万人の警察官を動員したこともあり個人による散発的な動きはあったが大規模なデモは抑えこまれた。その約1週間前の6月24日、民主派寄りの新聞として知られている蘋果新聞「(アップル・デイリー)」が廃刊にとなった。報道の自由がほぼなくなった香港。同紙のみならず香港のメディア事情とはどういったものか?
報道の自由度2002年18位→2021年80位
国境なき記者団(RSF)が2002年より発表している世界報道自由度ランキングでは、香港は2002年に18位(日本は26位)だったが、翌2003年に基本法23条による国家安全条例が影響してか56位に急落(同44位)。以後は50~60位台を行き来していたが2015年には2014年に発生した雨傘運動の影響で70位(同61位)となり、2021年4月に発表された最新版ではついに80位(同67)にまで順位を下げた。日本の下落も懸念しなければならないが、同紙がなくなった今、来年、順位を上げる要素は見当たらない。
「東スポ」が「文春砲」を出すことで信頼されるようになった
アップル・デイリー紙の歴史や意義、廃刊に追い込まれた理由などについては、すでに多くの日系メディアが報じているのでここではほとんど書かない。
長年、香港にも拠点を構える筆者にとっても驚愕の事例となった。同紙を認識する上で覚えておきたいのは「真実を追求する。そのためには誰にも忖度しない」というスタンスだ。それは創業者の黎智英(ジミー・ライ)氏の人生哲学と言ってもいい。
特に雨傘運動以降に同紙を知った人であれば(デモを起こした若者など)、民主派寄りで信頼に足る新聞という位置づけなるが、創刊から知っている人は日本的に言えば「東スポ」のイメ―ジだ。政治、経済、文学、社会、スポーツ、競馬、芸能、性風俗などをすべてカバーし、ビジュアル化を進めたやり方は、それまでは殆ど存在しなかったため香港の新聞界に革命となった。ゴシップ好き、噂好きの香港人にウケ、例えば、2008年にある芸能人のわいせつ写真が流出した出来事があり21日間連続トップページで扱っている。個人的な話になるが当時、旧正月をはさんだこともあり、この話題一色だったことを今でも覚えている。
一方で、政治は深い記事を書き、スクープも少なくなかった。2000年、親中派政党、民建聯(DAB)の程介南(ゲーリー・チェン)副主席がコンサルティング会社を経営していたが、それを立法会に報告していなかった。そんな中で立法会の資料や機密資料を顧客に漏えいしたことをスクープ。同氏は起訴され有罪判決受けた。
2003年には当時の香港政府ナンバー3の梁錦松(アントニー・リョン)財政長官が自動車を登記するときの税率を上げることを策定したが、発表前にレクサスを購入したことを同紙が暴露。この年の7月1日に50万人の大規模なデモが発生するがメインは基本法23条に関する事だったが、「車版のインサイダー取引」のような行為もデモ参加者数を押し上げる要因となった。結局、梁氏は辞任に追い込まれた。
このように、「文春砲」ならぬ「アップル砲」も合わせてだすことで、ゴシップだけではないということをいうことを印象付けていった。中国批判記事も多く中国本土に持ち込み禁止で、特に黎氏自ら雨傘運動に参加したことで、東スポが唯一の民主派の新聞という立ち位置に変わった。
同紙としては、読者の興味があることについて徹底的に真実を追求した結果、芸能人も政治家もアップル砲の餌食となったということに過ぎない。筆者も同紙を運営していた壹傳媒(Next Digital)の社屋も訪れ、社員も知っているが、自由な雰囲気の社風だったことも記しておく。