2024年5月4日(土)

食の安全 常識・非常識

2022年8月9日

 ならば、ネオニコを禁止したらどうなる? ネオニコは、米や野菜、果物から家庭菜園まで、とても広く使われています。病害虫は、EUでのてんさいのように日本の作物に深刻なダメージを与えないだろうか? 高温多湿、EUよりはるかに病害虫が増殖しやすい日本でどうなる? 多くの農業関係者がこの点を心配しています。

 病害虫被害がどうしようもなく、著しく収穫量が減って農産物の価格が高騰したら? ネオニコを使っていないから当たり前、と消費者は高く買ってくれるだろうか? あるいは、店頭から消えて入手できない、食べられない、という事態を許してくれるのか?

 出荷できないよりはモノがあった方がマシ、と以前に使っていた有機リン系殺虫剤を再度、使い始める農家が出てくるだろう、とも予測されます。明らかにヒトへのリスクがネオニコよりも高い殺虫剤に戻るのは、農家にとって、消費者にとって、正しいことなのか。

 これは思考実験です。もちろん、ネオニコのリスクを評価する段階では、農薬のベネフィット(便益)はいっさい考慮しません。しかし、そのリスクを管理する農水省は、こうした要素も検討して使用の是非を決めなければなりません。単純な話ではありません。

とはいえ、ネオニコにも問題あり

 ここまで、誤解を招いている6つのポイントについて解説しました。ただし、今となっては思います。浸透移行性があり長く効くのなら、ターゲットの害虫以外の生物への影響は、もっと調べたうえで商用化すべきだったのでは? 

 環境問題への関心が高まった今であれば当然の発想ですが、ネオニコが実用化された1990年代、地球生態系への影響、という視点はどの国でも非常に弱かったと言わざるを得ません。

 2019年、Science誌に島根県でネオニコの販売が始まった1993年以降、宍道湖で動物性プランクトンが激減し、漁獲高減少につながったとする論文が掲載され、注目を集めました。農地でのネオニコ使用→水域への成分流入→動物性プランクトンの減少→漁獲高減少という「仮説」を示した非常に興味深い論文です。

 しかし、1993年〜98年のネオニコ販売額(この当時はイミダクロプリドのみ販売)は非常に少なく、なのに93年を境に漁獲高が激減しています。「ネオニコのせいというには無理がある。ほかの要素も絡んでいるのではないか」とみる農業関係者がほとんどで、農薬工業会などはウェブサイトで反論しています。

 とはいえ、こうしたほかの生物への影響研究が、ヒトが食べた場合の影響研究に比べ著しく不足しているのは事実です。農薬登録の際に求められる野生生物への影響試験の種類は少しずつ増えてきましたが、複雑な生態系への影響予測には十分ではありません。

 環境省が外部有識者による「農薬の昆虫類への影響に関する検討会」を設置して2017年に「我が国における農薬がトンボ類及び野生ハナバチ類に与える影響について」と題する報告書をまとめています。「ネオニコチノイド系農薬等の使用が我が国の環境中でのトンボ類や野生ハナバチ類の生息に影響を及ぼしているかどうかについては、我が国での農薬の使用方法が欧米と異なること、農薬以外にもこれらの生息に影響を与えうる要因があること、野生ハナバチ類に対する農薬の暴露量の把握が十分ではないことなども考慮して総合的に見ると、これまでの科学的知見からは明らかではないとの結論に至った」と記されています。

 国立環境研究所に所属し、テレビでのヒアリ解説などで有名な生態学者・五箇公一さんが座長を務め、ミツバチ研究で知られる中村純・玉川大学教授もメンバーで、多くの人がイメージする国のお手盛りの検討会とは違います。そこでも、このような歯切れの悪い結論になったのが、この問題の難しさを象徴しています。

 結局のところ、実際には、ネオニコに限らず、ほかの農薬も生態系への影響予測は十分でないまま、食料生産を優先して使われてきたのです。その点については反省が必要です。

 以上、ネオニコをめぐる複雑な事情の主な内容を解説しましたが、これでもまったく足りません。詳しく語り出すと、3万字、4万字と必要ですので、それは別の場で、ということにしましょう。

 今、米国やEUなどはネオニコ再評価の過程にあります。日本でも昨年から、農薬の再評価制度がはじまり、500以上ある農薬成分の中で最初に評価されるグループにネオニコも入っています。農薬企業にとって都合のよい再評価とならないように、提出データの要件が厳しく決まっています。国際機関、EUなどのデータの解釈も参考にして、進められる予定です。

 次回は、日本で始まった「農薬再評価制度」について解説します。

(本記事の内容は、所属する組織の見解を示すものではなく、ジャーナリスト個人としての意見に基づきます)

■修正履歴(2022年8月15日18時50分)
3頁目の「この年は、ダニ被害等により豪州が輸出をストップしたため、日本でもセイヨウミツバチが足りなくなりました。」の「ダニ被害等により」は、農水省によれば、豪州の一部の州で蜜蜂の病気届出制度が変更され、同国から蜜蜂を輸出する時に病気がないことを保証するための方法などに関する日本と豪州の間の取り決めの内容が見直されるまで、豪州政府が自主的に女王蜂の輸出を見合わせていたためでした。そのため、「ダニ被害等により」という記述を削除し表現を変更しました。訂正して、お詫び申し上げます。

<参考文献>
山本出,ネオニコチノイドー作用機構と創製研究.植物防疫1996 第50巻第6号
農水省・農薬による蜜蜂の危害を防止するための我が国の取組
欧州連合・Neonicotinoids
欧州食品安全機関(EFSA)・EFSA assesses potential link between two neonicotinoids and developmental neurotoxicity
Kimura-Kuroda J, Komuta Y, Kuroda Y, Hayashi M, Kawano H. Nicotine-like effects of the neonicotinoid insecticides acetamiprid and imidacloprid on cerebellar neurons from neonatal rats. PLoS One. 2012;7(2):e32432. doi: 10.1371/journal.pone.0032432. Epub 2012 Feb 29. PMID: 22393406; PMCID: PMC3290564.
EFSA Journal・Scientific Opinion on the developmental neurotoxicity potential of acetamiprid and imidacloprid. 2013;11(12):3471
食品安全委員会・アセタミプリド評価書
食品安全委員会・イミダクロプリド評価書
EFSA Panel on Plant Protection Products and their Residues (PPR),  Statement on the active substance acetamiprid. EFSA J. 2022 Jan 24;20(1)
Intergovernmental Science-Policy Platform on Biodiversity and Ecosystem Services(IPBES)・Assessment Report on Pollinators, Pollination and Food Production.
欧州議会・What’s behind the decline in bees and other pollinators? (infographic)
英国・Emergency pesticide authorisation to protect sugar beet crops
アメリカ環境保護庁・EPA Actions to Protect Pollinators
アメリカ環境保護庁・Schedule for Review of Neonicotinoid Pesticides
Forbes・Honeybees Are Not “In Decline”, But The Beekeeping Industry Does Face Challenges
坂爪一幸, 発達障害の増加と懸念される原因についての一考察 -診断、社会受容、あるいは胎児環境の変化?-. 早稲田教育評論. 2012 26(1): 21
厚労省・食品中の残留農薬等
産業技術総合研究所・ウナギやワカサギの減少の一因として殺虫剤が浮上
Yamamuro M et al, Neonicotinoids disrupt aquatic food webs and decrease fishery yields. Science. 2019 Nov 1;366(6465) :620
農薬工業会・TBSテレビ報道特集に関する農薬工業会の見解
環境省・我が国における農薬がトンボ類及び野生ハナバチ類に与える影響について
食品安全委員会・評価書など(ネオニコ7成分の食品健康影響評価書を公開している)
食品安全委員会・食品安全総合情報システム(世界の主な情報の要約を翻訳公開している)

   
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