2024年12月12日(木)

世界潮流を読む 岡崎研究所論評集

2023年2月1日

アフガニスタンの首都カブールの一角、日本や欧米諸国などの大使館があったエリアに翻るタリバンの旗(Mansour-Ibrahimi/Gettyimages)

 英エコノミスト誌1月7日号は、アフガニスタンのタリバンに対するパキスタンの政策が破綻するに至っていることなどを論じる記事を掲載している。その要旨は次の通り。

 タリバンは、1990年代にパキスタンの軍情報当局が関与して作られ、以来、彼らによって庇護されてきた。パキスタンはタリバンを通じてアフガンをコントロールし、インドとの戦闘に際して死活的な「戦略的縦深性」を獲得することを欲した。

 しかし、その夢は儚かった。パキスタンはアフガンをそれほど強くコントロールできていない。タリバンの勝利はパキスタンの強硬派に刺激を与え、彼らはシャリア(イスラム法)の導入の要求を強化した。

 さらに悪いことに、パキスタンのイスラム武装勢力「パキスタン・タリバン運動(TTP)」をつけあがらせた。タリバンが権力に復帰した年の翌年にはパキスタンにおけるテロ攻撃は50%増に跳ね上がった。

 アフガニスタンのタリバンと同様、TTPはほとんどがパシュトゥン人であるが、彼らの伝統的な土地は国境の両方に跨っている。皮肉にも、アフガンはTTPに、パキスタンに対する縦深性を与えている。1893年に英国が引いた国境線「デュアランド線」も争点である。タリバンとパキスタンの軍がそこで衝突している。

 パキスタンは、タリバンが前回権力を握っていた時と同様にタリバンの対外関係を管理することを想定していたが、タリバンは米国とすら直接の関係を有し、インドの援助を得ている。米国の撤退は、ワシントンにおけるパキスタンの価値と影響力を大きく削いでいる。

 中国は米国の撤退に幻想を抱いていた訳ではないが、中国の政策担当者はタリバンが外交的承認を追求し諸外国との関係を正常化するそぶりを見せることを希望していた。しかし、タリバンの勝ち誇った態度がこの希望を駄目にした。

 中国は他のほとんどの諸国と違ってアフガンにとどまっている。タリバンを承認してはいないが、その大使館はカブールで業務を行っている少数の大使館の一つである。中国はウイグルの過激派の活動を制限するようタリバンを説得したいと思っている。

 アフガンに約束された中国の大きな投資は起こりそうにない。アフガンの治安は絶望的に酷い。中国は米国のようにアフガンの泥沼に引きずり込まれるリスクは取らないだろう。中国はその活動を最小限のものとし、出来るだけ多くをパキスタンの治安機関に委ねるだろう。結局のところ、アフガンの悲劇的な事態の多くに責任を有するのは彼らである。

*   *   *

 12月11日、タリバンはパキスタン領内の町を砲撃し、7人の市民が死亡した。パキスタンは報復し、タリバンの戦闘員1人が死亡し、10人が負傷した。シャリフ首相は「挑発なき砲撃」を糾弾した。

 12月15日には国境を挟んで砲撃戦となり、パキスタンとタリバンは戦争の事態となった。パキスタンはタリバンを育て、対インドのための「戦略的縦深性」を築きつつあると信じ、彼らを「戦略的資産」と呼んだが、今やタリバンは新たな脅威に転ずるに至った。

 双方の間の争点には二つあるとされている。一つはパキスタン軍がテロ掃討作戦の対象とするTTPに対しアフガンのタリバンが後ろ盾となっていることである。カブール制圧に際し刑務所からTTP戦闘員を解放し、あるいはアフガン領域をTTPに聖域として提供している。

 その基盤は国境を跨いで分布するパシュトゥン人(アフガン人口の45%とパキスタン人口の11%)であるが、パシュトゥン人はタリバン指導部にも多い。


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