2024年4月14日(日)

田部康喜のTV読本

2023年8月20日

 NHKスペシャル「発見 昭和天皇御進講メモ~戦時下 知られざる外交戦~」(8月7日)は、宮内省御用掛の松田道一が12年間にわたってほぼ週に1回計509回にもわたって、昭和天皇に御進講した大量のメモが昨秋発見されたのを受けて、近現代史の専門家と取材班がその分析に取り組んだ成果である。(以下、敬称略。文書は現代文に適宜書き換えた)

(anankkml/avlntn/gettyimages)

 昭和天皇の「御下問」と松田による「御進講」が計約10万字も詳細に記録されている。昭和史を書き換える事実を掘り起こしたドキュメンタリーの最高傑作である。

昭和天皇への情報の流れ

 「御進講」は1933年から終戦の45年7月26日まで行われた。番組は一連の昭和天皇の側近の手記や東京電力福島第1原子力発電所事故のドキュメンタリーの手法で確立された、映像と文献に加えて、俳優による再現ドラマを交えて進行する。昭和天皇に片岡孝太郎が松田には長塚京三が配された。

 松田はイタリア大使などを務めた外交官である。昭和天皇の基本的な姿勢と同じ欧米協調派であることから選ばれたと考えられる。

 天皇が国事を総覧する立場にあって、「御用掛」とはどのような存在なのか。昭和天皇のもとには、外交については外務相から、内政については国務相から情報がもたらされたのである。軍事については、陸軍が参謀総長、海軍は軍令部総長が奏上する。「御用掛」はこうしたどの系統にも属さずに、独自に分析した結果を昭和天皇に対して「御進講」する。

 志學館大学教授(近現代史)の茶谷誠一は「昭和天皇のなかでは、外務相と御用掛の役割を明確に分けていたと考えられる。天皇に集まってきた情報を御用掛の松田に確認するという重要な任務を担っていた」。松田は外務省に打電された公電や、日本にあるドイツ、ソ連大使館の情報のみならず、バランスをとるために外国の短波放送や新聞などの情報も分析に加えて、御進講に臨んでいた。

 一橋大学名誉教授の吉田裕(近現代史)は「昭和天皇は外交も自分が総覧する意思があった。しかし、国際関係の情報を分析する唯一のスタッフが御用掛の松田だった。天皇のもとにはさまざまな情報が他からも上がってきたが、情報の質を精査する組織を欠いていた。天皇自身の現実と願望がかけ離れるような制度的な欠陥があった」と指摘する。


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