2023年2月2日(木)

日本人なら知っておきたい近現代史の焦点

2023年1月19日

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髙杉洋平 (たかすぎ・ようへい)

帝京大学文学部史学科専任講師

國學院大學大学院法学研究科博士課程修了。博士(法学)。海上自衛隊生徒、宮内庁書陵部編修課非常勤職員、日本銀行金融研究所個別事務委嘱などを経て、2019年より現職。著書に『昭和陸軍と政治』(吉川弘文館)など。

戦前日本は1931年の満州事変という大きな転機を経て、日中戦争、そして破滅的な太平洋戦争へと突き進むことになる。その過程で旧日本陸軍が大きな役割を果たしたのは間違いないが、ではその「軍の暴走」の下地はどのように整えられたのだろうか。明治から満州事変まで、旧日本陸軍の「変貌」をたどってみよう。
第一次世界大戦では戦車や航空機など新兵器が登場したが、この革命に追随するのは当時の日本の工業力では至難の業だった。イラストは第一次世界大戦中の英国軍戦車を描いたもの(Mary Evans Picture Library/Aflo)

 史上初の世界戦争である第一次世界大戦(1914~1918年)は、近代軍事史上に一転機を画したエポックメイキングな事件であった。

 開戦当初、戦争は数カ月で終了するものと考えられていた。しかし、両陣営が初期の攻勢作戦に失敗すると、大量投入された火砲・機関銃の猛威を避けるため、両陣営とも前線に長大な塹壕を構築し、戦闘は膠着化した。敵の塹壕線を突破するため、戦車や毒ガスが開発され、上空には飛行機が舞った。新兵器の登場により、機械戦・化学戦の時代が幕を開けたのである。

 第一次世界大戦は、欧州大戦の別名が表すように、基本的には欧州諸国の戦争であった。極東の島国である大日本帝国は、協商側(英・仏・露・伊・米)の一員として参戦するものの、本格的な戦闘経験を持たなかった。しかし、欧州で展開される新時代の戦争に帝国陸軍が無関心であったわけではない。陸軍では多数の観戦武官(他国の戦闘を視察・研究するために派遣される軍人)を欧州に派遣し、国内では臨時軍事調査委員を設立して研究に当たった。その結果、衝撃的な事実が判明することになる。日本の兵器近代化の圧倒的な遅れである。

 臨時軍事調査委員のまとめた『参戦諸国の陸軍に就て』によれば、第一次世界大戦休戦時の各国の航空戦力は、西部戦線とイタリア・オーストリア戦線に展開していたものだけでも、フランス3321機、ドイツ2730機、英国1758機、イタリア812機、米国740機、オーストリア622機、ベルギーでさえ153機であった。これに対して日本陸軍が保有する航空機は全てかき集めても100機に過ぎなかった。

 また軍用自動車(自動二輪車を含む)に関しては、英国15万2000両、フランス10万両、米国9万5000両、ドイツ6万両、オーストリア2万両、ロシア1万5000両、イタリア1万両、ベルギー5000両であるのに対し、日本は300両に過ぎなかった。

 戦車に関しては、戦争末期に欧州戦線に展開していた数だけで、英米仏の合計3300両、ドイツ1000両であった。対して日本の保有数は実質ゼロである(ただし戦争末期に若干の戦車を研究用に輸入している)。

 日露戦争以降、陸軍は兵器の劣勢を所与の前提としつつ、精神力の強調によって列強に対抗しようとした(連載第1回『明治版「防衛3文書」から見る日本人の〝精神主義〟』参照)。しかし、このことは陸軍が直ちに近代兵器を軽視していたことを意味するわけでない。むしろ逆説的に、陸軍は近代兵器の威力を重視していたからこそ、その遅れを何らかの手段で埋め合わせようとする発想に至ったのだともいえよう。したがって大戦の結果生じた近代兵器の圧倒的格差に陸軍は驚愕することになったのである。それは精神力で挽回するにはあまりに隔絶した格差であった。

 陳腐化した装備の近代化は急務の課題であった。しかし、陸軍がその課題克服に乗り出そうとしたとき、大戦のもたらした別の障害が陸軍の前に立ちはだかることになる。軍縮世論である。


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