2024年12月23日(月)

教養としての中東情勢

2023年9月27日

 旧ソ連のアゼルバイジャンとアルメニアの係争地「ナゴルノカラバフ」を巡る軍事衝突はアゼルバイジャンの全面的勝利に終わった。今回明らかになったのはウクライナ戦争で手いっぱいのプーチン・ロシア政権の近隣地域への影響力の低下だ。ロシアと安全保障を組むアルメニアは急速に米国への傾斜を強めており、ロシアの裏庭である南コーカサスの戦略地図に激変が起きつつある。

アゼルバイジャンとアルメニアが衝突したナゴルノカラバフでは、多くの犠牲者が出た(ロイター/アフロ)

南コーカサスの火ダネ

 まずはナゴルノカラバフ紛争を紐解かねばならない。一言で言うなら、アルメニア住民が多いアゼルバイジャン南西部ナゴルノカラバフ地域を巡る民族紛争ということだ。カスピ海周辺の南コーカサス地方の火ダネになってきた。

 ナゴルノカラバフはいわばアゼルバイジャン内にあるアルメニアの飛び地。住民はわずか12万人ほどだが、その95%はアルメニア人だ。トルコ系のアゼルバイジャン人とは異なる民族だ。

 両者の言語はアルメニア語とアゼルバイジャン語と異なる。宗教もアルメニアのキリスト教に対してアゼルバイジャンはイスラム教徒が多数派だ。過去90年代前半と2020年の2回、アゼルバイジャンとナゴルノカラバフのアルメニア人との間で戦争が起き、その後も衝突が続いてきた。

 1回目の戦争ではアルメニア本国の支援を受けたナゴルノカラバフ側が勝利して同地の支配を確立。「ナゴルノカラバフ共和国」樹立を宣言した。この戦争では3万人が犠牲になり、アゼルバイジャン人50万人が難民となった。

 2回目の戦争は44日間続き、今度はトルコの軍事援助を受けたアゼルバイジャンが勝ち、失った領土を奪回した。6500人が死亡した。

 2回目の戦争ではロシアのプーチン大統領が介入し、停戦に導いた。停戦協定では、ロシアが平和維持のために2000人規模の軍隊を派遣すること、ナゴルノカラバフの首都とアルメニア本国を結ぶ「ラチン回廊」を開放することなどで合意した。だが、アゼルバイジャンはほぼ9カ月前から検問所を設けるなどして回廊を封鎖し、新たな戦争が起きるのではと緊張が高まっていた。


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