大綱では、「70歳代での発症を10年間で1歳遅らせることを目指す」と予防の目標を謳う。だが、予防が「認知症にならない」と受け取られることに気を遣い、わざわざ「認知症になるのを遅らせる」「認知症になっても進行を緩やかにする」という意味だと解説した。おかしな解釈である。
火災予防と言えば火災を起こさないこと、防ぐことだ。多くの辞書では「前もって防ぐこと」「あらかじめ防ぐこと」を予防だとしている。厚生労働省は辞書にない新定義をした。
排除されても、大綱の施策は残る。矛盾を抱えてしまった厚労省。予防についての今後の姿勢が問われる。
「認知症の人が自ら意思で生活を」
次に、注目されるのは第三条の「基本理念」。「すべての認知症の人が、基本的人権を享有する個人として」とある。介護保険法を含めた高齢者ケア施策で、基本的人権を真正面から謳うのは初めてだ。認知症の人を想定した「尊厳の保持」という言葉は15年の同法改正で第一条に盛り込まれた。
「基本的人権の享有」は既に憲法十一条で明記されている。「今更記すのはどうか」との声もある。だが、これまで認知症の人は、「恍惚(こうこつ)の人」や「痴呆老人」、「呆け老人」などと蔑称されてきた経緯があり、人権を持つ個人ときちんと指摘するのは、大きな意義がある。
基本的人権の叙述の直ぐ後に「自らの意思によって日常生活及び社会生活を営むことができるようにする」と続き、この法律が認知症の人を主語にしていることが明瞭だ。「認知症の人が尊厳を保持しつつ希望をもって暮らすことができるよう」とのフレーズが第一条と第三条の両方に出ていることでもよく分かる。
認知症の人を法律の主体としたことが自公案や大綱との決定的違いだ。自公案の基本は政治的な施策の展開にあり、認知症の人はあくまで支援を受けるべき人、即ち客体という位置づけだった。
基本法制定に真っ先に動いた公明党の責任者は、党の認知症対策推進本部長という肩書だった。「対策」とは、ガン対策基本法や自殺対策基本法などを想起させ、なくす対象という考え方だ。
だが、新法では、認知症の人が社会生活を営むことを目指す。主語は施策でなく、認知症の人そのものだ。
3つ目の注目点は家族の位置づけだ。自公案の第三条の「認知症の人およびその家族」という表現が新法で「認知症の人」に変わった。認知症の人とその家族の意向は必ずしも同じではない。