防災事業の光と陰
これまで2回にわたって保安林について述べてきた(「今こそ噛みしめたい、保安林のありがたみ!人々の命を守る森林の機能、厳しい規制は仕方のないこと」「豪雨被害も食い止める「治山」は都市化が進む社会でも必要不可欠な存在!時代遅れの保安林制度…期待したい林野庁の大英断」。それは治山の本来の趣旨が森林による防災や環境保全にあることを知っていただきたかったからである。
ところが防災にも陰の部分がある。自然災害から人々の命を守るのだから何ものにも優先するものとして疑いを持たないことが多い。ところが、その手法が土木工事である限り、自然破壊を伴うものであることを忘れてはならない。
写真2は、とある国有林である。ある時、国土交通省からここで砂防事業を行いたいと言ってきた。
ところで、砂防と治山の違いがわかるだろうか。林野庁の職員でもこのことを明快に答えられる人は少ないと思う。
確かに治山ダムと砂防ダムといった防災施設を見れば、ほとんど同じに見える。よくある話なのだが、会計検査の現場で治山ダムを目の前にして、検査官から治山と砂防違いは何かという基本的な質問をされて狼狽する担当者が多いのだ。
前回述べた通り、山地≒森林が理解できれば答は簡単だ。治山=治林であって、森林で山地災害をコントロールすること、すなわち森づくりが治山の基本なのである。簡単に言えば、山地の森林を維持・造成することによって、森林で面的に制御するのが治山なのである。
したがって主となる工事は森林造成なのだが、それらと一体的に渓流浸食とか山腹崩壊の防止が必要な場合、補助的手段として治山ダムや山腹工などの土木工事が行われる。ところが、森林造成よりも土木工事の方が見た目派手だし、技術的にも複雑であり、費用も各段にかかるので、補助的手段の方が治山の主役と見られるようになってしまった。
それに対して、砂防は主に河川やその上流部の砂防指定地を対象としている。森林を対象とする治山と違って、砂防は主に水の流れに沿った防災を目的としているので、砂防ダム等の土木工事が主体となるのは当然であろう。
そこで写真2である。砂防の担当者によれば、不安定土砂が大量にあるので3階建てぐらいの高さで幅の広い砂防堰堤を建設してその流出を防止したいというのだ。
だいたい役人は、不安定とか防災とかいう言葉に弱い。自分の責任逃れで、つい安全側に立ってしまう。この時もうっかり乗せられそうになったが、よく考えた。
よく見れば樹木が生えていて、夏ならもっと緑が豊富で自然豊かなところだろう。こんなところにビルディングのような高くて長大な堰堤を拵えて、景観を壊し、生態系を分断して自然破壊にならないのか。想像しただけでも身震いがする。
不安定土砂も曲者だ。少なくとも10年生以上の樹木が生えているし、下層植生もある。土砂が動くうちは植生が定着しないから、10年以上は動いていないはずだ。保全対象となる集落等からも相当の距離があるし、まず土砂流出の恐れはないと判断して、砂防堰堤の建設はご遠慮願った。危ういところで、自然破壊と予算の無駄遣いを食い止めたと思っている。
ちなみに写真2をもう一度ご覧いただきたい。このような岩石がゴロゴロするところにも立派とは言えないにしても、森林が再生しているのである。落葉広葉樹だけではなくアカマツなどの針葉樹もあって結構多様性に富んでいる。森林再生の手法は造林だけと考えている森林家が多いようだが、現地から学ぶことはかように多様である。
