税で取られる。保険料で取られる。さらに物価高で買えるものが減る。これがインフレ税である。
資産を多く持つ人は、株価や不動産価格の上昇で物価高の一部を取り戻せることがある。企業も、価格転嫁できれば利益を守れる。しかし、賃金が物価に追いつかない勤労者は、ただ購買力を削られる。
インフレ税とは、法律上の増税なしに、逃げられない人の購買力を削る仕組みなのである。
大きな政府ほど、政治力がモノを言う
問題は、政府が取ることだけではない。政府が誰に配るかを選べることでもある。
政府が大きくなれば、給付も補助金も増える。規制も増える。特例も増える。経過措置も増える。業界への配慮も増える。
そこでは、政府との距離が意味を持つ。業界団体の政治力、行政手続きへの慣れ、申請書類を整える能力、政策決定の場に声を届ける力がモノを言う。
一方で、正直に働いているだけの人には、そのような交渉力はほとんどない。税や社会保険料は給与から自動的に差し引かれる。インフレ税は物価高として静かに家計を削る。だが、配られる段階になると、自分が対象になるかどうかを待つしかない。
取られるときは自動である。しかし、配られる時には政治力がモノを言う。
大きな政府は、弱い人を守る顔をしながら、政治力のある者をより強くする危うさを持つ。配る政府が大きくなるほど、努力の収益率よりも政治力の収益率が高くなる。
これでは、正直に働く人ほど損をすると感じるのは当然だ。
まず取り、少し配って「支援」と呼ぶ
政府は、物価高対策、家計支援、子育て支援、事業者支援という言葉を使う。しかし、その財源はどこかから湧いてくるわけではない。
税で取る。保険料で取る。インフレ税で購買力を削る。そのうえで、条件をつけて一部を配る。
典型例が、子ども・子育て支援金である。こども家庭庁によれば、26年度の被用者保険の支援金率は0.23%であり、26年4月の保険料、つまり5月給与天引き分から拠出が始まる。被用者保険では、基本的に支援金額の半分を企業が負担する。
もちろん、子育て支援が不要だと言っているのではない。問題は、それをまた給与から取る仕組みに乗せることである。
政府はこれを税ではなく支援金と呼ぶ。しかし、給与から差し引かれる人にとっては、手取りを減らす負担であることに変わりはない。
政府はまず取る。インフレがさらに削る。そして、配る相手を選んで「支援」と呼ぶ。
この仕組みが続く限り、人々が政府の支援策をありがたいと思うより先に、「そもそも取りすぎではないか」と感じるのは自然である。
