2026年6月17日(水)

解剖:「大きな政府」を好む日本

2026年6月17日

公共的信頼が壊れると、人々は動かなくなる

 ここで失われるのは、可処分所得だけではない。公共的信頼である。

 負担そのものが重くても、人々はそれを一定程度は受け入れることができる。自分の負担が、社会の安定や将来の安心に結びついていると信じられるなら、負担にはまだ正当性がある。

 しかし、負担は自動的に取られる一方で、利益は政治力のある者に流れると見なされれば、話は違う。人々は税や保険料の金額だけで怒るのではない。その負担が公正に使われているのか、誰かの既得権を守るために使われているのではないか、という疑念に反応するのである。

 18世紀ナポリの経済学者アントニオ・ジェノヴェージは、市場や統治の基礎に公共的信頼、すなわち fede pubblica を置いた。人々が互いを信頼し、制度を信頼し、負担と利益の配分に一定の正当性を感じられる時、経済は単なる利害計算を超えて動く。

 逆に、公共的信頼が失われれば、人々は合理的に防衛的になる。税を取られるなら働き方を抑える。保険料が上がるなら手取りを守ろうとする。物価高が続くなら消費を控える。政府に近い者だけが守られると感じれば、挑戦よりも様子見を選ぶ。

 現代日本を覆う閉塞感の正体は、単に負担が重いことではない。負担の正当性が信じられなくなっていることである。正直に働く人ほど損をするという感覚は、家計の不満であると同時に、公共的信頼の劣化を示す警告なのである。

正直に働いても、将来の選択肢が増えない社会

 正直に働く人が損をする社会では、少しずつ努力する意欲を失い、将来の可能性が狭まっていく。

 結婚したい人がためらう。子どもを持ちたい人が諦める。家を持ちたい人が踏み出せない。挑戦したい人が失敗後の生活を考えて動けない。

 特定の人生モデルを押しつけたいわけではない。問題は、選びたい人が選べなくなっている現実にある。

 正直に働いても、税、保険料、物価高に吸収され、生活の選択肢が増えない。一方で、政府に近い者は給付・補助金、規制、特例、配慮によって守られる。この非対称こそが、現代日本を覆う閉塞感の正体である。

 大きな政府は、安心を約束する。だが実際には、逃げられない人から取り、政治力のある者に配り、人々をさらに政府の仕組みに縛りつけていく。

 そのような社会で、多くの人が前向きに働き、産み、育て、投資し、挑戦するはずがない。

 正直に働く人が損をする国で、成長も、少子化対策も、社会保障改革も成功するはずがない。最後には、大きな政府を支える人そのものがいなくなるだろう。

Facebookでフォロー Xでフォロー メルマガに登録
▲「Wedge ONLINE」の新着記事などをお届けしています。

新着記事

»もっと見る