イタリアとの出会いは、料理修行から
そんなわけで、さぞ“ジェラート一直線”な修行話が聞けるのかと思えば、茂垣さん、最初はシェフとして料理修行に出たのだそうだ。飲食業界で働き始めたのは、17歳から。神奈川県に生まれ、最初は横浜市の200席もある大きな店に就職。やがて経営者が10店舗以上にまで事業拡大するに及び、次第に責任のある仕事を任されるようになる。ここでしっかりした経営の基本を叩きこまれたが、20歳過ぎの若者には荷が重く、体調を崩し、知人の紹介で別の店へ移る。その時代、イタリアから戻ったあるシェフの影響で、夏休みを利用して食べ歩きの旅をしたのが最初だ。
二度目の渡伊は2004年、22歳の時、この時は、最初の食べ歩きの旅で気に入ったローマの高級店にいきなり飛び込みで働かせてもらえないかと交渉している。肝が据わっているというか、独立心旺盛というか、なかなかに大胆である。2日後、何とか働けることになり、料理から菓子作りやパン焼きまで何でもこなさねばならなかったが、新しいことを覚えるのは楽しかったという。「結局、1年半ほど働いたこの店で、シェフがとっても食材にこだわる人で、サラミや生ハム、チーズ、チョコレート、バルサミコと食材のことをいろいろ教われたんです」
次はウンブリア州のチッタ・ディ・カステッロの名店で修業。そろそろジェラートとの邂逅がと思いきや、その頃はサラミの世界に魅せられ、サラミの王様クラテッロの産地ジベッロにも滞在し、サラミ作りを習っている。
そして2007年、そろそろ帰国しようかという時になって、甘いものが好きだったこともあり、ジェラート屋の門を叩く。トスカーナ州のサン・セポルクロにあるよく知られた店『ギニョーニ』だった。電話では、「忙しいから見学だけ」と言われた主人だが、すぐに打ち解け、この店でジェラートの基本を学んだ。最後は、おばあちゃんの家に下宿させれもらうほど家族ぐるみの付き合いだった。
帰国後、茂垣さんは、さっそく『アクオリーナ』の名で、ネット通販を始めた。ところが、一年近く続けた頃、また以前、働いていたチッタ・ディ・カステッロの店から手伝って欲しいという電話があり、悩んだものの、まだ当時26歳。「もっと勉強できることがないか」と三度目の渡伊。
今度は住居つき、正社員の身分となって経済的にゆとりのある滞在だった。だが、時は2009年、リーマンショックの時代、高級店だったその店から客の姿は激減、従業員も少しずつ減り、茂垣さんと家族だけが残り、ついに閉店。その後もヴェネト州の二つ星レストラン『ペルベッリーニ』で働いた後は、思いきり食べ歩きと食材見学の旅に出た。