2024年11月23日(土)

都会に根を張る一店舗主義

2014年11月7日

 また、現在では、イタリアに約3万件というジェラート屋を最初に商いとして始めたと言われているのもシチリア人だ。フランチェスコ・プロコピエで、祖父が開発していたジェラート製造具を受け継ぎ、これを武器に、1686年、パリでカフェを開き、レモンやオレンジ、ピスタッキオなどのジェラートを販売し、成功を収めた。しかも、この店『ル・プロコップ』は、後にヴォルテールやバルザックなどの文豪も集うほどのカフェとなり、現在も続いている。

店のもう一つの魅力は、23時まで冬でも営業していること、最初は苦労したが、 今は、9時を過ぎてからが混み合うようになったそうだ。「自分が、夜中までやってる店が、日本にもあればいいなと思って始めたんで」と言うが、仕込みの手間を考えると、大変なことである

 おまけにイタリアでも、アラブだけでなく、マルコ・ポーロの『東方見聞録』に北京でミルクを凍らせたものを食べたという記述があることから中国伝来説もある。

 そんなわけで、発祥の地と言い切るのは難しそうだが、ジェラートを現在のような姿かたちにまで進化・発展させたのは、各地のイタリア人たちのコラボレーションだと捉えるのが正解のようだ。

 これほど日本でも認知されてきたジェラートだが、案外とまだまだ謎が多い。第一、よく友人にアイスクリームとどう違うの? と訊かれる。実は、イタリア語のジェラートは、ただ凍らせたものという意味で、いわゆる職人の手作りジェラートも、工業製品のアイスクリームもすべてジェラートと呼ぶ。

 「ジェラートと呼ばれるものの定義があいまいなので、厳密に線を引くことはできないんです。但し……」と茂垣さんは言う。

 「職人の作るジェラートと工業的な大量生産のアイスクリームを区別するとすれば、商品のライフサイクルなどの違いがあると思います。前者は、職人が材料を用意し、必要な分だけ作って売る。買う方もその場で食べることがほとんどで、持ち帰っても数日以内に食べきる。しかし工業製品のアイスクリームは、工場でたくさんの量を製造し、問屋を経て 小売店に搬送されてから店頭に並べられ、ようやく消費者に手に取ってもらえる」

 日本で売られているものを見る限り、アイスクリームはふんわりと軽く、なめらかなのに対し、ジェラートは密度があるように思える。

 「それは、工業製品のアイスクリームは、空気の含有量が多く、だいたい4~5割くらい、ジェラートの場合は2~3割なんです」。必要な素材の量がうんと違うわけだ。


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