「子縁」でつながる秋津地域のお父さん 

2016年7月27日

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岸 裕司 (きし・ゆうじ)

秋津コミュニティ顧問

1952年東京生まれ。広告・デザイン会社の(株)パンゲア代表取締役、習志野市立秋津小学校PTA会長時に秋津コミュニティ創設、会長を経て現在顧問兼秋津小学校コミュニティルーム運営委員会顧問。文部科学省委嘱コミュニティ・スクール推進員、学校と地域の融合教育研究会副会長、埼玉大学・日本大学非常勤講師、ほか。著書に『「地域暮らし」宣言』『学校を基地にお父さんのまちづくり』(ともに太郎次郎社エディタス)、『学校開放でまち育て』(学芸出版社)など。

高知県の「民権ばあさん」が切り開いた女性参政権

高知市立自由民権記念館に展示の「民権ばあさん」の楠瀬喜多の像(撮影:筆者)

 ところで何度も伺った高知県には「民権ばあさん」の愛称で今でも慕われている楠瀬喜多(くすのせ・きた)という女性がいました。

 今から71年前の1945年の敗戦後初の総選挙で女性参政権(選挙権と被選挙権)が実現しました。それ以来はじめて投票年齢が引き下げられ、今回の18歳以上になったんです。その女性参政権の先駆のばあちゃんが喜多ばあちゃん。高知市上町(かみまち)の第四小学校校門脇にある婦人参政権発祥之地碑には、この文言が刻まれています。

 「男女同権ハ海南ノ某一隅ヨリ始ル」

 民権ばあさんを慕う地元の女性がはじめた100円募金が発展し、1990年に建てたそうです。

 喜多ばあちゃんは38歳の時に、土佐藩剣道師範の夫・楠瀬実と死別します。その後の1878(明治11)年の区議会議員の選挙の際、「戸主として納税しているのに、女だから選挙権がなく投票できない」ことを知り、「これはおかしい。本来義務と権利は両立するのがものの道理、選挙権がないのなら納税しない」と県に対して抗議しました。しかし、県は規則を盾に受け入れてくれません。そこで喜多ばあちゃんは、当時の内務省に訴えました。このことは、婦人参政権運動の最初の実力行使となり、全国紙の大坂日報や東京日日新聞などにも報道されました。そして、1880(明治13)年、明治維新からわずか13年後、喜多ばあちゃんに賛同して運動した上町町会ぐるみでの抗議行動に県令もついに折れ、日本で始めての女性参政権を認める法令が成立しました。

高知市上町(かみまち)の第四小学校校門脇にある婦人参政権発祥之地碑

 

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