2024年4月20日(土)

Wedge REPORT

2020年4月3日

 サッポロビールが開発したホップ、ソラチエースは1984年に誕生した。

 育種したのはサッポロの元技術者、荒井康則。現在、サッポロの新価値開発部でマネージャーを務める新井健司は、ソラチエースについて次のように説明する。

「苦くて香り高いのが特徴。具体的には、ヒノキや松、レモングラス、ディル(魚のハーブ)を想起させる重層的な香りを醸し、余韻はココナッツのような甘い香りとなる。ベタベタせずに最後は、さわやかに抜けていく。海外のホップにはないだけに、日本生まれのフレーバーホップとして世界のクラフトビール界で評価されています」

(stsmhn / gettyimages)

 北海道空知郡上富良野町にある同社の研究所にて、品種開発がスタートしたのは1974年。10年に及ぶ奮闘により世に出たものの、ソラチエースが日本で脚光を浴びることはなかった。

 84年当時の日本は、70年代の二度に及ぶオイルショックを乗り越えて経済成長期に入っていた。酒類ではビールやウイスキーに代わり、若者を中心にチューハイがブームを巻き起こしていた。つまりは、味わい深い酒よりも、飲みやすい酒が受け入れられていたのだ。

 それでも、明治期にドイツからビールを学んだ日本のビール産業は、麦芽100%のドイツタイプのビールを投入していく。86年にサントリーがモルツ、同じくキリンはハートランド、87年にはサッポロがエーデルピルスをそれぞれ発売する。

 モルツはそれまでの新商品の初年度販売記録である185万箱(1箱は大瓶20本=12.66リットル)を樹立。ハートランドは六本木でキリンが直営したビアホール「ハートランド」でのみ供され、その後は全国発売される。そして、エーデルピルスに対する評価も高かった。「サッポロがつくった最高傑作」と話すサッポロ関係者さえいる。

 このように、飲み応えがあり本格感の強い麦芽100%が主流になっていたら、特徴のある香りのソラチエースはどこかの時点で起用されていただろう。そもそも、本場ドイツにも負けないビールづくりを目指して、ソラチエースは開発されていた。

 ちなみに、ドイツでは16世紀にバイエルン公ヴェルヘルム4世が定めた「ビール純粋令」がいまも存続していて、国内生産されるビールはコーンなどの副原料を使わない麦芽100%タイプのみだ。

 ところが、1987年3月に当時は業界3位で経営危機に直面していたアサヒが、スーパードライを発売すると、瞬く間にヒット。ビールの流れを変えてしまう。初年度の販売数量は1350万箱と、前年にモルツがつくった記録を、大きく塗り替える。重厚な麦芽100%の3社に対し、スーパードライだけが副原料を使い発酵を徹底させて(発酵度を高くさせて)、軽快で飲みやすくさせたタイプだった。アメリカのバドワイザーと一緒で、肉料理などの高カロリーの食事に合うのが特徴とされた。

 日本酒にたとえるなら、麦芽100%は肴を必要とせずに塩だけでも飲める会津の酒(コク系)。ドライビールは、刺身のトロなど料理を引き立てるスッキリとした新潟の酒(キレ系)。といった位置づけだろう。

 ヒットを受けて88年には、アサヒ以外の3社も相次ぎドライビールを発売する。その後94年にサントリーが初めて商品化させた発泡酒、03年にサッポロにより開発された第3のビールと、いずれも発酵度を高くさせて飲みやすくさせたタイプだった。

 「グビグビと量を飲める爽快なのどごしのビールが主流になるなかで、個性的な香りのソラチエースは活躍の場を見出せなくなってしまいました」と新井。

 もっとも、サッポロ前編で指摘したが、麦芽100%であろうと、ドライや発泡酒、第3のビールであろうと、大半が下面発酵(ラガー)のなかのピルスナータイプという点で、日本のビール類は共通する。

 なお、一応お断りしておくが、味に関してはあくまで筆者の見立てだ。「力強い麦芽100%は肉料理に合う」という人はいるし、「飲み飽きないドライならツマミなどいらぬ」という向きもいる。


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