スポーツ名著から読む現代史

2021年10月14日

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中島章隆 (なかじま・ふみたか)

元毎日新聞運動部長・論説委員

なかじま・ふみたか 1952年長野県生まれ。元毎日新聞運動部長・論説委員。現在は立教大講師、東京プロ野球記者OBクラブ理事。月刊政策情報誌「毎日フォーラム」で2009年から「スポーツを読む」を連載している。

 もう一つの超ド級の災難を忘れてはならない。11年3月11日の東日本大震災である。白鵬26歳の誕生日でもあった。力士会会長でもある白鵬は、被災地を訪れ大地を鎮める土俵入りを披露したほか、子供たちのための土俵を各地に贈るなど、多彩な支援活動を繰り広げた。

誤解が解けなかった「猫だまし」

 『相撲よ!』出版後、白鵬の〝変化〟を予兆させる出来事もあった。

 15年11月の九州場所10日目、前日までただ一人全勝で勝ち進んだ白鵬は、関脇栃煌山(現清見潟親方)との対戦で立ち合い、相手の顔の前で両手をパチンとたたく「猫だまし」の奇襲を仕掛けた。ひるんだ栃煌山が改めて前に出ようとしたところを再びパチン。最後は得意の右四つで危なげなく連勝を伸ばした。

 「勝ちにつながって、うまくいった」と笑顔で振り返った白鵬に対し、当時の北の湖理事長は「前代未聞。横綱がやるべきことじゃない」と厳しく批判した。

 北の湖理事長のしっ責に、白鵬が反論なり弁明をできれば事態は変わったかもしれない。だが、白鵬の「猫だまし」から3日後、北の湖理事長は病院に救急搬送され、そのまま息を引き取った。直腸がんによる多臓器不全だった。

 「猫だまし」は確かに番付下位の力士が使う奇襲攻撃だが、禁じ手(反則)ではない。日馬富士、鶴竜と2人の横綱が誕生し、「一人横綱」の重圧から解放されたこともあり、人一倍研究熱心な白鵬が、実践で試してみようと思ったとしても不思議ではない。白鵬のショックがいかに大きかったか。13日目から3連敗で優勝を逃し、名誉回復の機会も永遠に失った。

見え隠れする外国籍の除外

 モンゴル相撲の「大横綱」として国民的英雄だった父ジジド・ムンフバトさんが亡くなったのは18年4月。76歳だった。現役引退後、年寄として相撲界に残るためには、日本国籍の取得が必要になるが、ムンフバトさんは長いこと白鵬の国籍変更には反対していた。亡くなる直前、「わが道を行け」と白鵬に言い聞かせ、日本国籍取得を認めたといわれている。

 白鵬は19年9月、日本国籍を取得した。偉大な父を尊敬する白鵬の心中は、複雑だったに違いない。

 力士が現役引退後に親方として日本相撲協会に残るために必要な年寄名跡の取得を「日本国籍を有する者に限る」と規定したのは協会の寄付行為施行細則48条だ。ハワイ出身の高見山(元関脇、日本名渡辺大五郎、先代東関親方)が外国人力士として初めて優勝したことから1976年に追加された、いわば「高見山ルール」だ。

 関取として長年、大相撲の発展に尽力した外国籍の力士に、親方として後進を指導する権利を与えない国籍条項が、本当に必要なのか。「日本スポーツの多様性に逆行する」と批判する声があることを忘れてはならない。

 白鵬が日本国籍を取得すると、今度は特別に功績があった横綱がしこ名のまま定年まで年寄として残れる「一代年寄」をめぐる問題が浮上する。過去、大鵬、北の湖、千代の富士、貴乃花の4人の横綱が現役時代の功績から「一代年寄」の栄誉に浴した(千代の富士は辞退)。明文化されてはいないものの、「優勝回数20回」が目安とされてきた。25回優勝の朝青龍は暴行事件のため、モンゴル国籍のまま相撲界を離れたが、白鵬はどうなるかが焦点だった。

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