スポーツ名著から読む現代史

2022年1月13日

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中島章隆 (なかじま・ふみたか)

元毎日新聞運動部長・論説委員

なかじま・ふみたか 1952年長野県生まれ。元毎日新聞運動部長・論説委員。現在は立教大講師、東京プロ野球記者OBクラブ理事。月刊政策情報誌「毎日フォーラム」で2009年から「スポーツを読む」を連載している。

 平尾が率いた日本代表は、それまで勝てなかったサモアやアルゼンチンに勝ったほか、99年のパシフィック・リム選手権では初優勝し、世界との距離を縮めていった。しかし、91年大会以来の2勝目を目指した99年のW杯はまたも3戦全敗に終わり、平尾は代表監督を辞した。

「プロ化」の必要性痛感し、構想掲げる

 W杯での敗戦から平尾たちが学んだことも少なくなかった。一番痛切に感じたのは、プロ化によって強化が進む世界の潮流だった。「このままでは日本は立ち遅れてしまう」。まず改革に着手したのが社会人ラグビーのシステムだった。

 それまでは東日本など3地区ごとにリーグ戦を行い、勝ち抜いたチームがトーナメントで「日本一」を決める方式だったが、これでは力のある選手が地区ごとに分散し、日常的に緊張感ある試合を組むことが出来ない。全国レベルの10チームほどに集約し、そこでリーグ戦を戦う中で日本のレベルを世界クラスに引き上げる――との構想を平尾らがまとめた。これを実現したのが「トップリーグ」で、2003年、12チームでスタートした。

 19年に開かれる第9回W杯の開催地が09年、日本に決まり、ホスト国となる日本代表の強化がより求められることになった。その答えが出たのがイングランドで開かれた15年の第8回大会だった。エディー・ジョーンズ率いる日本代表が優勝候補の南アフリカに逆転勝ちする「世紀の大番狂わせ」を演じ、世界を驚かせた。

交流を振り返ったノーベル賞学者の言葉

 日本代表が南アを破った歴史的快挙の余韻が消えない15年9月、平尾の体内を蝕んでいた病魔が突然、牙をむいた。夜中に大量吐血し、翌日、病院に直行。惠子夫人は病院の医師に「出血は癌が原因の食道静脈瘤破裂で、癌はかなり悪い状態で、とても年内はもちません」と告げられる。(『友情』59~60頁)

 闘病生活は13カ月に及んだ。平尾は家族にいつもこう言っていたという。「山中先生に診ていただくということは、世界でいちばん最先端のことができるということや。これでだめやったら、本当にだめなんや」。

 山中は、医師として、友人として最後まで献身的に最善を尽くしたが、救うことはできなかった。山中は平尾の棺の前で「治してあげられなくて本当にごめんなさい」と泣いた。

 平尾との交流を振り返る山中の言葉で、本稿を締めくくりたい。

<平尾誠二さんと僕の付き合いは、出会いからわずか6年間で終わってしまいました。せっかく知り合えたのに、あっという間でした。けれど40代半ばを過ぎてから男同士の友情を育むというのは、滅多にないことです。なんの利害関係もなく、一緒にいて心から楽しいと感じられる人と巡り会えた僕は幸せでした。(略)もちろん彼は、もっと長生きしたかったに違いありません。しかし、平尾誠二はラグビーで頂点を極め、その後も、ほかの人にはできないさまざまなことを経験しました。彼のおかげで、日本ラグビーは今のように強くなりました。1人の患者としても、本当によく闘いました。そういう意味では、残された人たちに対して、「俺はすべてもやり尽くした。そう思っていてほしい」と、平尾誠二は願っているのではないかと思います。>(『友情』50~51頁)

  
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