食の安全 常識・非常識

2022年5月14日

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松永和紀 (まつなが・わき)

科学ジャーナリスト

1963年生まれ。89年、京都大学大学院農学研究科修士課程修了(農芸化学専攻)。毎日新聞社に記者として10年間勤めたのち、フリーの科学ジャーナリストに。主な著書は『踊る「食の安全」 農薬から見える日本の食卓』(家の光協会)、『食の安全と環境 「気分のエコ」にはだまされない』(日本評論社)、『効かない健康食品 危ない天然・自然』(光文社新書)など。『メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学』(同)で科学ジャーナリスト賞受賞。2021年7月より内閣府食品安全委員会委員(非常勤、リスクコミュニケーション担当)。(記事の内容は、所属する組織の見解を示すものではなく、ジャーナリスト個人としての意見に基づきます)

(2)どのような質のデータを評価に用いるか

 さらに話をややこしくするのが、それぞれの機関がどんなデータをもとに発がん性を判断しているか、ということ。IARCは、公表された学術論文からデータを収集し判断します。一方、各国の政府機関は主に、GLP適合/経済協力開発機構(OECD)ガイドラインに準拠した動物試験の結果を中心に収集しています。論文としては非公表の企業等が実施した試験結果も含めて、判断しています。

 この違いが、一般の人たちにはたいへんわかりにくいものなのです。

学術論文は再現性がないものが多い

 かなり簡略化して説明すると、学術論文は研究者が主に、新しい知見を公表するものです。冒頭で紹介したセラリーニの「ラウンドアップ耐性トウモロコシを食べさせたら……」というような実験結果です。しかし、試験の設計の仕方や動物の数、研究施設・測定機器の管理、飼料の管理等は研究者に任されています。そのため、セラリーニの論文に限らず、質が低く再現性が得られない学術論文が多数あります。

 一方、GLP適合/OECDガイドラインに準拠した動物試験というのは、詳細なルールがあらかじめ定められています。試験を実施するのは専門の教育・訓練を受けた人。かなりの設備や分析機器等を備えていなければならず、試験に供する動物の数も、1群50匹以上などと決められています。施設や測定機器、飼料など、すべて記録し、試験者以外によるチェックが求められ、行政も折々、試験を行う組織に対して査察を行います。つまり、第三者がデータの質を保証することになるのです。

 その結果、施設や実験者等を変えて同じ試験を行っても、同じ試験結果が得られます。その代わり、試験実施には相当なコストがかかります。

 農薬開発の場合、企業内で費用が比較的少なくてすむ予備的試験をさまざま行いながら開発を進めます。新規物質のアイデアが他社に知られては困るので、この結果は学術論文としては発表されないことがほとんどです。

 最初は数千〜数万あった農薬の候補物質が、効果や毒性、環境影響などの観点から吟味され問題のあるものが排除されて行き、商品化できそうなものに絞られます。そのうえで、農薬メーカーは、GLP適合/OECDガイドラインに準拠した動物試験を自社で行なったり委託して実施したりして、結果を各国の政府機関に提出し、農薬としての審査を受けるのです。

 学術論文になった動物試験とGLP適合/OECDガイドラインに準拠した動物試験のどちらがよいとか悪い、というものではありません。たとえば物質に発がん性があるかどうか、関心のある研究者がとりあえず調べようという時、いきなり、お金がかかり多数の動物個体を対象とするGLP適合/OECDガイドラインに準拠した動物試験を行うことはできません。

 まずは、自身の研究室で小規模、それほどの費用を要しない試験を、用いる動物の個体数も絞って行う。そこで発がん性がみられたら学術論文として発表する、というのは当然です。しかし、試験の質が低く間違う場合もある、ということなのです。

学術論文にはパブリケーションバイアスもある

 また、学術論文にはパブリケーションバイアス(出版バイアス)もあります。少数の動物を用いた試験の結果は、同じようにやっても結果がかなりばらつくものなのです。

 たまたま「発がん性がある」という結果が出た試験結果だけは学術論文になり、「動物に投与したけれど、発がん性がなかった」というような当たり前の試験結果は、新規性がないとして往々にして学術論文にはなりません。このようなバイアスがあるのは、科学者ならだれもが知る事実です。

 IARCは、がんに関する知見をいち早く見出し、ほかの機関によるがん研究を促し、世界におけるがんの脅威を小さくしてゆこうという組織です。したがって、新しい知見が出てくる学術論文を尊重するのは当然のこと。IARCの分類も参考にしながら、ほかの研究機関が発がん性のタイプや強さ、リスクを調べてゆきます。

 一方で、各国の政府機関は、農薬としての製造や使用を認めるかどうかを判断するためにリスク評価を行うのですから、間違いも多い学術論文を主たる根拠とするわけには行きません。したがって、主に農薬メーカーが提出したGLP適合/OECDガイドラインに準拠した動物試験で得られた、第三者が質を担保した試験結果を判断の核に据え、学術論文の結果も研究の質を判断したうえで取り込む、という姿勢になります。

 グリホサートについても、各国の政府機関はGLP適合/OECDガイドラインに準拠した動物試験と学術論文の両方を検討し、発がん性を否定しています。企業が、GLP適合/OECDガイドラインに準拠した動物試験を行った場合、企業の知的財産権の一部となり結果や内容は非公表とされていることが多く、政府機関は個別に開示を受けてリスク評価を行い、結論をまとめます。

 しかし、この手続きが一部の市民団体からは「農薬企業が提出した非公表のデータからの判断は信用ならん」と見えてしまう、というわけです。

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