フランスは現在、エネルギー政策の転換期を迎えています。1970年代より原子力発電を柱としたエネルギー安全保障戦略を策定するとともに、石油・天然ガスの調達先を多角化させてきました。しかし、2022年に主力電源の原発が発電不調に陥り、また同年2月のロシアによるウクライナ侵攻を機に、エネルギー面での脱ロシア政策を余儀なくされています。
フランスにおける原子力の役割
フランスは原子力発電を軸としたエネルギー政策を追求し、発電比率に占める原子力の割合は1970年時の3%から80年中頃には70%まで上昇しました(図1)。以後、原子力発電はフランスのベースロード電源の役割を担っております。
フランスが原子力技術を発展させた背景には、核兵器保有という軍事的側面と、産業育成という経済的側面がありました。第二次世界大戦後のフランスは、安全保障分野で米国との同盟関係に依存していたものの、英仏所有のスエズ運河をエジプトが国有化した56年のスエズ危機を機に、米国への従属から外交の自主性を失うことを懸念しました。そして、対米追従路線からの脱却を模索する中、ガイヤール政権が自国で安全保障体制を強化するため、58年4月に核兵器の製造を決定しました。
58年10月に発足した第五共和政下のド・ゴール政権は60年、アルジェリアのサハラ砂漠で初の核実験を実施し、フランスは米国、ソ連、英国に次ぐ、4番目の核保有国となりました。核武装の過程で、プルトニウム製造やウラン濃縮を研究する部署の設置や生産・再処理工場の建設が行われました。ド・ゴール政権は核兵器を単なる軍事的戦略だけではなく、民生用原子力の活用こそが、国家の自主性を維持できる手段と捉えていました。
ド・ゴール政権は、国際的競争力をそなえ技術的に自立した産業の保護・育成を目指し、60年代より原子力産業の発展に注力しました。当時、原子力発電コストは火力発電よりも相対的に高かったものの、政府・フランス電力公社(EDF)は原発推進政策を主導しました。この背景には、輸入に依存する化石燃料に代わって、フランス独自の技術開発による原子力産業を育成することが必要であったという長期的・戦略的な観点がありました。