拡大画像表示
走行中、脊椎が傾いた方向と逆にある大腰筋がバネのように引き伸ばされる(図7)。この脊椎の傾きが、側弯症のボルトは正常の人より大きい。つまりバネが引き伸ばされて、弾性力(もとに戻ろうとする力)が大きくなる。この体幹を横に揺らす独特の走りは、強力なバネを引き出していることになる。ここで生まれた推進力は、ピッチだけでなく、ストライドの大きさにも当然かかわってくる。
「歩くときに背骨を左右に動かす動きは、実は犬や馬など四足哺乳動物にみられる自然な動き。人類進化の過程で直立した人間はこの体幹の左右の揺れを最小にさせる効率性を獲得したが、ボルトは側弯症を克服する努力の中で、側彎する背骨を生かす動物的な感覚を身に着けたということだろう。まさに神への感謝を感じているだろう」と小田教授は話す。
小田教授によれば、競歩選手は背骨を左右に揺らしながら歩く。日本人最高の10秒00の記録を持つ、伊東浩司さんはこうした競歩の動きに走りのヒントを得た。
ボルトの死角はハムストリングスの違和感
リオ五輪に出場するボルトにとって懸念材料はハムストリングス(大腿部の裏の筋肉)の違和感。7月1日に開かれたジャマイカ代表の選考を兼ねた陸上100m決勝にボルトの姿はなかった。5月から続いていたハムストリングスの違和感が解消されなかったからだ。陸上短距離選手にとってはもっとも大事な筋肉で、ボルトは「大事をとって出場しなかった」と話している。
実際、五輪直前の7月22日、ロンドンで開かれたダイヤモンドリーグの200mは19秒89で優勝。100mにはでなかった。少しもたついた感がみられたとの報道もある。しかし、自身が持つ世界記録の19秒19には及ばないものの好タイムで、復活をアピールしたと言えるだろう。
ハムストリングスの違和感は、太い筋肉だけでなく、大腰筋などインナーマッスルのバランスが加齢などにともなって微妙に崩れたからかもしれない。しかし、100m選手は辞めた方がいいとまで言われたボルトが、不撓不屈の精神力で、病気を克服し、世界最高記録を持つにいたった歩みは、極めて偉大だ。かたや、ガトリンもドーピングによる出場停止など紆余曲折の人生を歩んできた。2人の一騎打ちは、言い尽くせぬ長年の汗、涙、喜び、苦しみのドラマが、わずか10秒足らずに凝縮されている。今から興奮がやみそうにない。
▲「WEDGE Infinity」の新着記事などをお届けしています。