2024年4月12日(金)

日本人なら知っておきたい近現代史の焦点

2023年4月13日

 7月22日に成立した第二次近衛内閣は、陸軍の強い後押しによって成立した内閣であった。近衛内閣は組閣早々26日の閣議で「基本国策要綱」を採択し、国策、すなわち国家の基本戦略を決定した。同要綱は陸軍省軍務局長の武藤章が持ち込んだ原案をほとんどそのまま新内閣の国策として採用したものであった。

 同要綱は、現在の国際情勢は複数の国家群が分裂する多極構造へと向かっており、これは「世界史的発展の必然的動向」であると分析する。その上で、日本の国家的使命は「大東亜の新秩序」建設による「世界平和の確立」にあるとする。そして日中戦争をこの国家的使命達成のための一段階と位置付ける。

 こうしてすでに『東亜新秩序声明』でもその萌芽が現れていた文明対立的世界観は一層明確化された。「東亜新秩序」建設は地理的に拡張され、東南アジアを含む「大東亜新秩序」(大東亜共栄圏)建設が謳われた。そして日中戦争はその実現のための手段と位置付けられたのである。

 ここでは奇妙な目的と手段の逆転が行われている。前述の土居作戦課長の発言にも見られるように、新秩序建設は本来、単独では解決困難となった日中戦争を国際情勢とリンクさせ、新秩序建設によって解決しようとする発想だったはずである。しかしこれが国策化される過程で、むしろ新秩序建設こそが目的であり、日中戦争はその手段であるという置き換えがなされているのである。

 当事者がこの逆転に一体どこまで自覚的であったかは分からないが、なぜこのような置き換えが行われたかは明白である。第一に、内外に対する自己正当化と弁明のために置き換えが必要だったからである。「日中戦争を解決するために大東亜新秩序を建設する」ではあからさまな権力政治の宣言に過ぎない。あくまで「大東亜新秩序建設のための日中戦争」でなくてはならないのである。

 第二に、ある種の現実逃避の側面があったことも否定できない。この置き換えによって日中戦争は「大東亜新秩序」建設の手段に格下げされた。さらに南進と対独提携と共に並置され、手段としての重要性も分散された。結果として為政者や軍人は南進と対独提携に傾注することで、日中戦争という持て余した負債から目を逸らすことができ、より「建設的」な課題(大東亜新秩序建設)に取り組んでいるのだという心の平安を確保できた。

 しかしこうした効果の代償として、為政者や軍人は「大東亜新秩序」建設という桁違いに大きな課題を背負い込むことになってしまったのである。その影響は直ちに発現する。

対日制裁を招いた「英米可分論」

 この後、9月の北部仏印進駐と日独伊三国同盟締結に対し、米国は航空用ガソリンと屑鉄の対日輸出禁止措置を発動する。翌1941年7月の南部仏印進駐に対しては、対日石油輸出全面禁止措置で対抗する。この石油禁輸が対米開戦の決定的要因になったことは周知の通りである。

 日中戦争の新たな戦争目的である「大東亜新秩序」建設と、その手段たる南進と対独提携が米国の経済制裁を加速させ、経済制裁が対米開戦を呼び込んだ。誠に皮肉だと言わざるをえない。不思議なのは、南進と対独提携の強行が厳しい経済制裁を惹起することに日本側がどれだけ自覚的であったかということである。


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