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オーストラリア自転車&キャンプ旅2000キロ走破 第2回
2018/09/23 高野凌私は日本国憲法第9条を説明して、日本国民の過半数は自衛隊の海外派遣に依然として否定的見解であることを解説した。イアンは怪訝な顔をして「オーストラリア人の99%は日本国憲法9条を知らないと思う。さらに大国日本が国際秩序や国際平和を守るために…
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オーストラリア自転車&キャンプ旅2000キロ走破 第1回
2018/09/16 高野凌2カ月間の旅行で毎日市井のオーストラリア人と話したが、彼らが口にしたのは「今の生活に満足しているよ」「この町が好きだ」「素晴らしい自然に囲まれて幸せだ」「色んな国に旅行したけどオーストラリアが最高だ」という素朴で手放しのオーストラリア賛歌…
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ロンドン滞在記第6回 テームズ河畔グリニッジにて(下)
2018/09/09 高野凌当時の英国海軍は志願制である。青少年で自発的に海軍を志願するのは貧困層、失業者、浮浪者などのいわゆる“食い詰め者”。海軍ではあの手この手で勧誘したようだ。
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ロンドン滞在記第5回 テームズ河畔グリニッジにて(中)
2018/09/02 高野凌1815年には15万人、936隻の軍艦を保有していた。巨大艦隊を維持するためには巨額の税収が必要である。税収確保のため益々植民地を拡大して通商交易で利益を得る。拡大する植民地と通商交易路を維持するために広大な海域の制海権確保が必要となる。…
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ロンドン滞在記 第4回 テームズ河畔グリニッジにて(上)
2018/08/26 高野凌グリニッジ天文台で有名なグリニッジはロンドン中心部から15キロくらい南西に位置するテームズ河畔の町である。グリニッジは小さな町で天文台の他に観光名所は旧海軍大学、海洋博物館、クイーンズ・ハウスくらいしかない。毎日朝から晩まで旧海軍大学と海…
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厄災続きの初夏の英国『おじさんバックパッカーを襲うトラブル蟻地獄』(下)
2018/08/18 高野凌ロンドンに滞在する定年オヤジのトラブル地獄はとどまることを知らない。航空券変更、スマホ修理とやることなすこと全てダメ。果たしてこのまま帰国できるのだろうか?
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厄災続きの初夏の英国『おじさんバックパッカーを襲うトラブル蟻地獄』(中)
2018/08/17 高野凌イギリス人ヤンキーに現金、クレジットカードを強奪された定年オヤジ。数日後警察から、日本の紙幣が捨てられていた、との連絡が入った。そこで、財政難のあおりを受けた英国警察の実態を知ることとなる。
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厄災続きの初夏の英国『おじさんバックパッカーを襲うトラブル蟻地獄』(上)
2018/08/16 高野凌マイ自転車に乗って颯爽とヒースロー空港を出発。親切そうな若者に道を尋ねると「案内してくれる」という。そこで、待ち受けていたのは、ヤンキー仲間たちだった。定年オヤジはこの難をどう逃れたのか?
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モンゴル・内蒙古周遊 第8回
2018/08/12 高野凌1939年のノモンハン事件では満州国軍・日本帝国陸軍(関東軍)×モンゴル軍・ソ連邦赤軍が戦火を交えたが、圧倒的火力を誇る赤軍機械化部隊により日本軍は潰走。そんな歴史を思い出しながらハルハ川戦勝記念碑を参観。
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モンゴル・内蒙古周遊 第7回
2018/08/05 高野凌日本とフランスに共通する転職の難しさ、1年間休みをとって旅をするドイツの教師カップル、そして、世界の「馬」を見て回るアンヌ。一つの事に集中して掘り下げて極めていくと、逆に自分の世界が広がっていく。
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モンゴル・内蒙古周遊 第6回
2018/07/29 高野凌10月1日。午後13時、人口9万5000人のモンゴル第三の都市エルデネトからウランバートル行きのバスに搭乗。エルデネトは銅鉱脈の発見により1970年代にソ連邦の全面的技術支援を受けて鉱山開発が始まり、同時に建設された企業城下町である。
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モンゴル・内蒙古周遊 第5回
2018/07/22 高野凌モンゴル最大の祭典、ナーダムは盛夏に繰り広げられる競馬とモンゴル相撲の一大イベントである。このナーダムのイメージがモンゴル文化であるとモンゴルを1カ月余り歩いて実感した。
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モンゴル・内蒙古周遊 第4回
2018/07/15 高野凌繁華街の中心であるノミン・デパート(旧国営デパート)付近に来るとハングル文字の看板がやたらと目立ってきた。韓国人経営のレストラン、スーパー、土産物屋、旅行代理店、美容院などが目に入る。
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モンゴル・内蒙古周遊 第3回
2018/07/08 高野凌日本から帰国後ガラ君は建設工事のパートタイマーをしていたが、12月から地元の大手鉱山会社への就職が決まっているという。エルデネトの街はソ連邦の援助で鉱山開発したときに企業城下町として建設されたという歴史がある。この鉱山会社はモンゴルでも有…
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モンゴル・内蒙古周遊 第2回
2018/07/01 高野凌ウランバートル郊外の日本人墓地跡の慰霊碑・記念堂を訪ねた。市内からローカルバスを乗り継いでバス停から徒歩20分ほどで高台の公園のように整備された施設に到着。慰霊碑や記念堂からはウランバートル市街が望見できる。
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モンゴル・内蒙古周遊 第1回
2018/06/24 高野凌2人の周囲にも日本に留学や仕事で滞在している人間がいるという。ちなみに2017年6月時点の日本政府統計では在日モンゴル人は9500人程度である。その後もモンゴルを旅行中に日本語を話すモンゴル人青年に何度か遭遇した。
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東インド・ネパール周遊 第12回
2018/06/17 高野凌私は数カ月くらい海外旅行しても日本食が恋しくなるということは全くない。理由は明瞭で海外でまともな日本料理を食べようとすれば、日本人ビジネスマンが経費で接待するような高級日本レストランでなければまともな和食にありつけないからである。現地の物…
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東インド・ネパール周遊 第11回
2018/06/10 高野凌若いころから老境に至るまで海外放浪人生を送ってきたという中高年欧米人は多い。ビエンチャンの安宿街で沈没していた米国人。クアラルンプールの安宿で隣にいたベルギー人。アテネのホステルで同室になった英国とドイツの老人。記憶を辿ると、かすかに彼ら…
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東インド・ネパール周遊 第10回
2018/06/03 高野凌私は金銭や物をねだって向かってくる人に対して、徹底して無視することを旅の鉄則としている。途上国を歩いていればこうした人に頻繁に遭遇する。1人を相手にすれば、無数の人に追いかけられることになる。
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東インド・ネパール周遊 第9回
2018/05/27 高野凌Kさんは世界的に有名な日本の大手スポーツ用品メーカーのチームに所属していたアスリートであった。20代後半になり競技人生のピークを過ぎた頃、テクニカルアドバイザーとして正社員として働かないかオファーを受けた。Kさんはサラリーマンとして生きて…
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